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航空機と乱気流

乱気流は空気中に渦が生じて乱れた気流だが、一番経験しやすいのは航空機に乗った場合だろう。私は2回、激しい乱気流を経験した。

1.新婚旅行からの帰路

43年前、新婚旅行で福岡から南九州に行って(ジェット機)の帰路、宮崎空港から福岡空港まではプロペラ機だった。わずか30分ちょっとの飛行時間だったが、20分間以上が乱気流の中を、大きく揺れると言うより激しい下降と上昇の連続であった。上昇するのはそれほど気にならないが、いきなり百メートル近い下降は・・・それでなくとも高所恐怖症で飛行機嫌いなのに、この乱気流では拷問だ。右隣を見ると、ビジネスマン風の男性が新聞を読んでいた。この状況でも平気なんだと尊敬したが、しばらく観察していると、手に持った新聞がガタガタ震えている。機体の振動で震えているわけではない。やはり怖いのだ。左隣の妻は笑っている。緊張すると、何故か顔が笑った状態になるらしいが、他の人から見たら不謹慎だろう。時々「あっ」「いっ」「うっ」「えっ」「おっ」ア行五段活用の末尾だけになり、急降下すると私の左腕を万力以上の力で掴む・・・後で見ると痣になっていた。掴むなら座席だけにして欲しいが、シャイな私には言えなかった。妻は「これ墜落するの?翼がパタパタ動いてる」と聞くので、「落ちるときは落ちる、落ちないときは落ちない。でも私にはその判断能力はない。死ぬときは一緒だから良かと(博多弁)」と答えた。すると「死ぬなら、一人で死んでね」と明快な答えが戻ってきた。なかなか奥が深い。二人同時に亡くなったら葬儀が出来ないし、後の面倒な処理も出来ない。無事に福岡に到着して、それを聞いたら・・・単純に独りで死ねと言った、でも冗談だけどと言う。あの状況で冗談は言えまいと思ったが、それを口にする事は小心者の私には出来なかった。

2.帯広から東京までYS11で乱気流

40数年前、ある講習会に出席するために旧帯広空港から東京に向かった。天候は最悪で、北日本は嵐のような天気だ。空港カウンターに到着すると、体重計に乗れと仰る。預ける荷物なら判るが、乗客の体重まで量るとは・・・肥満は搭乗出来ないのか?いやいや、そうではない。機体のバランスを考えて、左右の重さを均等にするためらしく、そこで始めて座席を決めるのだ。お陰で少し肥満気味なのが判ったが、とても恥ずかしい、後方の人から丸見えなのだから。ようやく搭乗時間となり、バスで飛行機のタラップへ、機体はプロペラ機だが日本が誇るYS11。外は雨が降り出していて、天候が悪そうだ。離陸して高度が上がると、黒い雲が見える。アナウンスで、天候が悪く途中気流が悪いので、シートベルトは締めたままにと。それから・・・羽田に到着するちょっと前まで、2時間程度の乱気流中の飛行であった。急降下・急上昇の連続で、客室乗務員も座ったまま、機内サービスも出来ず、吐く人もいた(私も)。急降下だと無重力の近く、急上昇だと体重が倍以上のようなGが掛かる。前述の1の比ではなかった。悲鳴が聞こえたりして、落ちるのかと思うほどだったが、それでも他に何事もなく無事に羽田に到着、頑丈な飛行機だ。飛行機を降りてバスでターミナルまで移動中、誰もが放心状態で、私はその日はホテルで寝込んでしまった。あれくらいでも、操縦士にすればちょっと揺れた程度なんだろうか?帰宅して妻に話したら、「2時間もジェットコースターに乗れたのだから、良かったね」と言われた。私のジェットコースター嫌いは知っている筈だが・・・人生で2回もジェットコースターに乗った事があるが、死にそうで漏らしてしまった経験がある。

3.ダウンバースト、後方乱気流、晴天乱気流

ダウンバースト:空港進入経路上で積乱雲が発生するとダウンバーストと呼ばれる強い下降気流が発生することがある。下降気流が発生し着陸航空機が巻き込まれると滑走路に機体がたたきつけられる形となり着陸失敗という大事故につながる。

後方乱気流:大型の航空機の離陸時、主に翼端渦が元で後方に生じる空気の乱れ。2001年にニューヨークで発生したアメリカン航空587便墜落事故では、直前に離陸した日本航空機の後方乱気流に巻き込まれたのも一因とされている。

晴天乱気流:雲がない晴天でも起こり、エアポケットと呼ばれる。高高度のジェット気流の周辺で頻繁に発生し、山脈の近辺で発生し、肉眼でもレーダーでも見つけられない。航空機には危険な存在で、風速や風向が急激に変化し、翼で生じる揚力が急速かつ予測不可能に変化し、激しい揺れが起きてしまい、乗客や客室乗務員が体を投げ出されて負傷する事もある(1997年ユナイテッド航空826便乱高下事故のように死亡事故に至る事も)。しかし、レーザーのような光学的に乱流を測定する装置を使えば遠くから検知可能だが、まだ全面実用化に至っていないようだ。

乱気流により14人が負傷して成田空港に緊急着陸したアメリカン航空の機内の様子



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劇的に変わる航空機の運航(Next-Gen)

劇的に変わる航空機の運航(Next-Gen)

1.これまでは管制依存だった航空機だが、限界に達してきている

スカパーのナショナルジオグラフィックチャンネルで「メーデー!航空機事故の真実と真相」をシリーズで放送している(シーズン13まで、番外編も含めて全113話もある)。世界各地で起きた航空事故を検証する番組で、コックピットボイスレコーダーやフライトデータレコーダー 、目撃証言、実際の交信記録などに基づき、コックピットや客室、管制室などを実写で再現した映像や、飛行中の機体や事故の瞬間をCGで再現した映像、実際のニュース映像などをおりまぜて、目撃者、事故の生還者や犠牲者の遺族、NTSB(アメリカ国家運輸安全委員会)の主任調査官をはじめとする事故調査の担当者など(米国以外での事故の場合は発生国の調査官も)へのインタビューと、その解説によって構成されている。日本語版は第4シーズンまでと総集編スペシャルはナレーションのみ吹き替えで、その他の会話や証言は登場人物の話す原語に字幕をつけていたが、第3シーズン第3話(JAL123便事故)と第5シーズン以降は会話・証言なども全て吹き替えられる様になった。

aircraft-accident.gif


航空機の事故死者数(年平均500)は、車の事故死者数(年125万)の約1/2500だが、起こると多数の犠牲が出るので深刻だ。事故は些細な原因でも起こる。2000年7月25日、当時最高速で技術の粋を集めたエールフランスの超音速旅客機コンコルドが離陸直後炎上し、近くのホテルに墜落して全員死亡。原因は、直前に離陸した飛行機が滑走路に落とした小さなエンジンの金属部品で、未熟な修理によって脱落したものだった。離陸滑走中のコンコルドがその金属部品を踏んでしまい、タイヤがバーストして、その破片が燃料タンクを直撃し、タンク内に衝撃波が生じてタンクを破壊し、そこから漏れた燃料に引火したのだ。最近では、2010年11月4日、オーストラリアのカンタス航空A380(2階建ての巨大な最新鋭機)のエンジンが巡航中に爆発したが、その原因はロールスロイス製のエンジンの中にある小さなオイルパイプが、製造ミスで一部薄くなっていた事。電子制御モニターが大量にエラーを告げ、多くのシステムにダメージを与えた。パイロットのチームワークで、奇跡的に無事空港に着陸し、全員無事だった。他には、純正品では無い格安ボルトが使われていて、尾翼が飛んだ航空機も。大統領専用機にも使われていたそうで、そういう部品のブラックマーケットが取り締まわれた事も。エアカナダのB767は燃料切れでギムリー空軍基地に不時着したが、原因は燃料の体積を重量に換算する計算で,キログラムとポンドを間違った結果、必要な量の半分しか給油出来ておらず、しかも燃料計測のシステムは小さな部品のハンダ付け不良であった。管制官との応答で、聞き間違いで起こった事故もある。原因は多岐にわたり、事故が起こってから対策が採られる事が多い。想定外のことが多いからだろう。

航空機の事故は滅多に起こらないが、意外にもちょっとした事が原因でも起こる事がある。航空の自由化で格安航空会社が増え、大空港の離発着は急増し、管制業務が激務となっている。今後十年で航空路線を飛ぶ航空機は2倍になるとの予想もある。これまでの管制依存体制では、もう限界を超えてきていると言われる。それに対処するシステムは、2003年からスタートしている。間に合うのだろうか?

2.米国の次世代航空交通管理システム「NextGen」

NextGen(The Next Generation Air Transportation System、ネクストジェン)とは、次世代航空運輸システムの略称で、2025年までの軍を含む航空交通需要の急増を想定し、それに対応する総合計画の策定を目指すもの。構想の概要は2003年12月に制定された連邦航空法の改正条項に盛られ、必要な機器の開発などは進められてきたが、2008年11月ブッシュ大統領が運輸省を中心とする関係省庁の糾合を指示する大統領令を出した事で、マスコミにも取り上げられるようになった。具体的な計画内容は、航空管制をこれまでのレーダー・システムから、衛星システムに移行する事で、航空交通の容量増加と能率向上および安全性を高める事で、GPSを使用するADS-B(Automatic Dependent Surveillance-Broadcast、同報的自動相互監視装置)の開発と実験がほぼ完成に近い段階まで進んでいる。ADS-Bは四次元機器と呼ばれる装置の1つで、GPSの情報を基に飛行中の航空機の位置を周辺の航空機の位置と併せて同時に表示する。航空機と地上施設とで同じ映像を視認して監視と管制を行う事で、これまでのような管制依存から脱却し、激務となっている管制業務を緩和し、安全な航空機の運用が図れる。米国とEUでは、既に一部の民間航空機にADS-Bを装備しており、それを地上との試験用に使用している。



航空路は円柱状をしていて、航空機同士がデータを通信し合い、航空機同士の間隔を制御する自動化も行われるようで、また可能な限り直線に近い空路を通るので、消費燃料を減らせる。空港での駐機状態もモニターに映し出され、離発着もかなり自動化されるようで、管制はその管理と監視にあたるようだ。日本の運輸省内でも次世代航空運輸システム共同計画開発局を設けている。この構想の世界的な実現のためには、特に空港がADS-Bを配備した施設を設けられるかどうかに掛かっている。日本では、首都圏空港の現代化が焦眉の問題であり、また日本全体の問題ともなっているようだ。

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披露宴会場を間違えた人

披露宴会場を間違えた人

古い話だが昔、同級生が大阪にいて結婚する事になったとの招待状を貰った。飛行機は嫌いなので、福岡から大阪まで新幹線で向かった。時刻表からみて、何とかギリギリで結婚式場に到着できる筈だった。結婚式場に着くと、大安の日曜日と言う事でごった返している。めちゃ大きな結婚式場のようで、披露宴会場がものすごい数ある(仕切り壁で大きさは変えられるみたい)。時計を見ると、もうすでに始まっている時刻。探す暇が無いので、式場のスタッフを見つけて、

「**家の披露宴会場はどこですか?」

と聞いたら、すぐに

「あそこの会場でございます。もう始まっておりますから、そっとお入り下さい」

と言う。それで、その会場の扉をそ~~~っと開けて入ると、直ぐそばに式場のスタッフがいて、私を見るなり、手で遠くの席を示す。なるほどそこしか空席がないから、それがMy席なんだと分かり、ゆっくりそっと席に着く。媒酌人の紹介演説は終わったようで、他の方の祝辞が始まっていた。私は席に着席し、ほっと一息つく。周囲を見渡しても当然知っている人は居ない、まあそうだろう、私も新郎の母親しか顔をウロ覚えでしかない。高砂は遠くてあまりよく見えないが、同級生だった新郎の姿は何とか確認できた。眼鏡を掛けているので間違いない、多少太った感はあるが。グラスにビールを注がれ、乾杯する。暑い日にはこれが旨いんだな。それからディナーのスープとパンが置かれる。友人のスピーチも始まるが、私は全く聞いていない、お決まりのメッセージばかりだろうから。ぼっ~としながら、食事でもするかと思って、スプーンを取ると、

「@@君、**ちゃん、ご結婚おめでとう」

と言うメッセージが耳に入る。@@君?改名でもしたのか?・・・えっ、なんか変!自席のテーブルの横にある名札を見ると・・・全く知らない人の名前が書いてある。そう言えば新郎の顔が多少違う(本当はかなり違う)・・・名字が同じだけの、別人の披露宴じゃあないか(^^;)ど、ど、どうしたらええの?ビールだけで食事には手を付けてないから、無銭飲食にはならんよね?

参った、困った。ごまかすしかない。

「あ、痛たたたた、お腹が痛いかなあ?」

と呟きながら、そっと椅子を引いて、そっとさりげなくトイレに向かう振りをして、会場を出る。速攻で走り出して、ロビーを駆け回り、別の正しい「**家」の披露宴会場に入る事が出来た。もう食事が始まっていたが、何食わぬ顔をして自席に座り、名札を確認し、やがて指名されて友人としての祝辞を喋り、それから猛烈に食事をとった。それ以外は全く記憶にない(新婦の顔だけはかろうじて見たが)。たぶん、その日は大阪に宿泊した筈だが、全く記憶に残っていない(記憶力だけは抜群に良いのに)。同じ日の同じ時刻の結婚披露宴2つに出席した人は・・・たぶんあまり居ないだろう。

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芥川龍之介の小説「おぎん」、殉教の論理の矛盾

●芥川龍之介の小説「おぎん」

芥川龍之介が大正11年(1922年)中央公論に発表した小説。ジャンル・切支丹物(キリスト教)の一作品で、江戸時代初期のキリシタン弾圧における、キリスト教的観念と日本人的心情、キリスト教的死生観と日本人的死生観、宗教と家族制度との衝突を描いている。享年36歳で自殺していて、葬儀宗教や戒名などからキリスト教徒ではなかったと思われる。しかし、「切支丹物」と言われる「侏儒の言葉」「西方の人」「煙草と悪魔」「尾形了斉覚え書き」「さまよへる猶太人」「るしへる」「奉教人の死」「邪宗門」「きりしとほろ上人伝」「じゅりあの・吉助」「黒衣聖母」「南京の基督」「神神の微笑」「報恩記」「おぎん」「おしの」「糸女覚え書」「続西方の人」などの膨大な作品を残している。関心や興味があったのは事実だ。父親は若くしてキリスト教に改宗したが、芥川は母の実家で育てられたため信者ではなかった。でも、悩み多き芥川によって「救い」は大きな関心であり続け、死ぬ直前まで聖書を読んでいた。

(小説おぎん/あらすじ)

江戸時代初期の元和か寛永の頃、キリスト教禁教令と共にキリシタン弾圧は苛烈となった。隠れキリシタンは、見つかると信仰を確認され、棄教しない場合は火刑に処せられた。その頃、長崎郊外の浦上の山里村に、おぎんという少女がいた。元々両親と共に大阪で暮らしていたが、流浪の末に長崎に至り、両親は亡くなり孤児となった。山里村の農夫で隠れキリシタンの「じょあん孫七」は、おぎんを哀れと思い、「まりあ」の名で洗礼(ぱぷちずも)を授けて養女とした。孫七の妻「じょあんなおすみ」もキリシタンで、三人は隠れキリスタンとして幸福な生活を営んでいた。何年か後のクリスマス(なたら)の夜、ひっそりと暮らす孫七達も、この日は壁に十字架を掲げ、牛小屋にイエス(ぜすす)誕生を記念した飼い葉桶に水を張っていた。しかし、それが役人に知れて隠れキリシタンとして捕えられた。投獄されて拷問を受けても、天国(はらいそ)の門を潜るまではと、三人は辛抱して耐え抜くのだった。

代官は、三人が強情を張る理由が理解できない。事によれば三人は血の通わない人外のものかもしれない。困り果てた代官だが、法を犯す者は罰せなければならず、ついに火炙りの刑に処す。三人は刑場に連行され柱に縛り付けられた。根元には薪が山のように積み上げられている。周囲には大勢の見物人が集まり、一切の準備の終った時、役人の一人が三人の前へ進みより、天主の教を捨てるかどうかしばらく猶予を与えるから再考するように、もし教を捨てると云えば直にも赦してやると云った。しかし彼等は答えない。遠い空を見守ったまま、口もとには微笑さえ浮かべている。するとその時、おぎんが明瞭な言葉で「私は御教を捨てる事に致しました」と叫ぶ。縛られた孫七は驚愕し、「悪魔に魅入られたのか、もう少しで天主の顔も拝めるのだぞ」とおぎんを責める。おすみも、「おぎん!おぎん!お前には悪魔がついたのだよ。祈っておくれ」と声をかけるが、おぎんは返事をしない。ただ眼は墓原の松を眺めている。役人はおぎんを赦すように命じた。孫七はそれを見て、あきらめたように「万事にかない給うおん主、おん計らいに任せる」と目を閉じた。

解放されたおぎんは茫然と佇むが、孫七やおすみを見るとその前へ跪き、「お父様、お母様、勘忍して下さいまし」と涙する。「おん教を捨てました。その訳は、あの墓原に眠る両親は、天主のおん教も知らず、きっと今頃は地獄(いんヘるの)に堕ちているでしょう。私だけ天国に入るのでは申し訳がありません。地獄へ両親の跡を追って参ります。お父様やお母様は、イエス様やまりや様の御側へお出でなって」と啜り泣く。すると、おすみも涙を落し出した。孫七は「お前も悪魔に見入られたか?天主のおん教を捨てたければ、勝手にお前だけ捨てろ。俺は一人でも焼け死んで見せる」と言うが、妻は「いえ、私もお供をします。けれどもそれは…天国へ参りたいからではございません。ただ貴方の、貴方のお供を致すのです」と答える。孫七は長い間黙っていた。その顔は蒼ざめたり、また血の色を張らせたり、汗が顔にたまる。孫七の心眼は、彼の霊魂を奪い合う天使と悪魔とを見ていた。しかし、おぎんの涙に溢れた眼は、不思議な光を宿しながら彼を見守る。眼の奥に閃いているのは、無邪気な童女の心ばかりではなく、あらゆる人間の心である。おぎんは孫七に「お父様!地獄へ参りましょう。お母様も私もあちらのお父様やお母様も、悪魔にさらわれましょう」と。孫七はついに堕落した。

この話は、我国に多かった奉教人(キリスタン)受難の中でも、最も恥ずべき躓きとして後代に伝えられた物語。三人が教を捨てるとなった時、天主の何たるかをわきまえない見物人さえ、ことごとく彼等を憎んだと言う。折角の火炙りを見そこなった遺恨だったかも知れない。更に伝える所によれば、悪魔はその時大歓喜のあまり、大きい書物に化けて刑場で飛んでいたと言う。悪魔の成功だったかどうか、作者は甚だ懐疑的である。

(書評)

1.殉教とは

おぎんが語った棄教の理由は、意外なものと思われるかも知れないが、日本的心情としては十分納得できる。この小説は、日本の風土・心情とキリスト教原理主義との矛盾・衝突を主題としていて、特に家族の絆との相剋が描かれている。この矛盾する両者の本質的な問題は何なのか。その前に殉教の構造を考えてみる。

殉教は自らの信仰の為に命を失う死を指す。キリスト教の歴史で良く用いられるが、他の宗教にも見られ、宗教的迫害において命を奪われた場合や、棄教を強制されて応じないで死を選ぶ場合など、様々な形の殉教がある。正教会では殉教の語を用いず致命・致命者と言う。キリスト教の殉教(Martyria)は、「証人」という言葉に由来する。殉教と認定されるのは、その死がその人の信仰を証している事と、人々の信仰を呼び起こすかどうかが基準とされる。最初期の殉教者は、新約聖書・使徒言行録に登場するステファノである。十二使徒はすべて殉教したとされるが、史実の裏づけがなく伝説の域を出ない。教会は、殉教者を神と人間を仲介できる存在、聖人と位置づけて祈りの対象とした。聖人の遺体も信仰の対象となり、病気治しなどの奇跡を起こす力があると考えられ、高額で取引される事もあった。ヨーロッパにキリスト教が根付くと、聖人と聖遺物に対する各地域の要望が増え、過去の殉教が伝説化し誇大に伝えられた。

キリスト教宣教者は異文化と接触し、破壊を伴う正面衝突を引き起こし殉教が増えた。イエズス会等が非キリスト教地域に宣教に乗り出し、その後多くの宗派が世界中に宣教者を送り出すと、各地で殉教が生じる。殉教を作るのは殺す側であり、殺される側ではない。大規模な殉教は、キリスト教を排除する権力者の政策であった。日本では、個々の教義や態度が問題にされたのではなく、キリシタンである事自体が問題視された。逮捕された者もキリスト教を棄教すれば許された。しかし棄教を拒んだキリシタンは国外追放か死刑に処され、しばしば拷問の末に残酷に殺され、16世紀末から17世紀初めイエズス会士など外国人宣教師と日本人信者が殉教し、豊臣政権における二十六聖人が良く知られている。その背景には、一向一揆との戦いを経験した統治者が信徒団体による反乱を警戒した事、外国人が日本人を奴隷として売買していた事、宣教師が植民地化の尖兵となっていた事にある。この時代のキリシタンは、殉教でパライソ(天国)へ行き永遠の命を得られるという原理主義的教えを固く信じさせられていたため、彼らの多くは拷問や処刑を恐れず、嬉々として死の運命を受け入れたと伝えられる。日本におけるキリスト教徒迫害は、欧米諸国の圧力で明治時代初期に法的には廃止された。

2.殉教の背景、犠牲の交換論理

宗教には、「自我」を「無」にして「聖なるもの(神、仏)」に帰一するものだという自己犠牲の論理がある。西洋では、旧約聖書創世記のアブラハムによるイサク奉献物語が、大きな精神的規範の役割を果たしてきた。キリスト教の「殉教」思想は、国家が国民の犠牲を正当化する事に利用され、近代国家になっても、そのナショナリズムの背景にはいつも世俗化された宗教・キリスト教の「犠牲」の論理が存在する。キリシタン禁制時代に「殉教」したキリシスタンは、その後カトリック教会によって「列福」されたが、殉教者を信仰の模範として顕彰する儀礼は、祖国のために死んだ戦死者を自己犠牲の模範と顕彰する国家儀礼と同じ類型である。「神のために死ぬ」と言う殉教の観念はユダヤ教から発展したもので、マカバイ戦争で律法を守り犠牲で死ぬ者がいて、それが模範となって続く者を鼓舞する「犠牲の論理」となり、また殉教者の母が名誉を受けるのも「靖国の母」に類似している。

本来、犠牲の論理とは無縁で「生」そのものの根源的肯定を意味していたナザレのイエスの信仰は、イエスの死後にパウロ等により十字架上の刑死を「犠牲死」として、人類の原罪(神への負い目、神への負債)」を帳消しにする「贖い(償い)」と解するキリスト教へと変質した。ニーチェ「道徳の系譜」では、罪と罰を中心とする道徳観念は、「負い目」とその「帳消し」という債権・債務の経済論に支配されていると指摘した。要するに一言で言えば、「犠牲の交換論理」である。命を何かと交換する事となる。イエス死後のキリスト教の論理は、神の分身であるキリストの犠牲=神への負債の帳消し、となり破綻した論理であるが、これが国家の存続に便利な論理として2000年間受継がれてきた。内村鑑三も日本の武士道精神と殉死を尊び、「十字架」理解では、罪の賠償として死刑を要求する交換経済の論理を核としているので、典型的な犠牲の論理であり、批判されるべきだろう。ニーチェがナザレのイエスに見た「根源的キリスト教」は、罪からの解放のために如何なる犠牲(償い、贖い)をも要求しない、善悪の彼岸の生の根源的肯定の「犠牲の論理なき宗教」であると考えられる。(参照:宗教における犠牲の論理と倫理に関する哲学的研究、東京大学・大学院総合文化研究科・高橋哲哉教授)

3.イエスの死生観、生きる事への肯定

イエスは、すべてにおいて抽象的観念的な形で教えはせず、聴衆である紀元1世紀のユダヤ民衆や、付き従う者達の現実を念頭に置き、譬え話を用いたり対話の中で、具体的に自身の考えを述べている。死生観や復活に対しても体系的に論じる事は全くなく、相手の必要に応じ、その都度核心を衝いた鋭い洞察による言葉を駆使する手法を採っている。イエスは生について、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか(マルコ8:36-37)」と、命を失ったら何の得にもならない、今生きているこの命を大切にする、現実の生に対して大変ポジティブである。一方、死後の世界に関する発言はほとんどなく、死後に対する執着がない。イエスの死者の復活の観念については、復活問答でのサドカイ派の指導者達との論争に表れている(マルコ12:18-27)。歴史家ヨセフスがユダヤ古代誌でも述べているが、サドカイ派は復活を認めない立場だった(ファリサイ派は復活を認める)。彼らは、女性が生前に夫を亡くし場合、律法のレビラート婚に従ってその弟と結婚する事を繰返し、結局7人の男性と婚姻関係を持った場合、もし終末に死者の復活が起こるとすれば、その女性は一体誰の妻となるのかと問いかけた。これは、死者の復活を認めた場合、こうした不合理な事が起こりえる事を示し、復活観念に内包される矛盾を突く質問であり、イエスを陥れようとする質問だった。そこでイエスは、「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではないか。彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない…神がモーセに仰せられた言葉を読んだことがないのか。わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であるとあるではないか」と言う。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」という古い伝承の定型句で、神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神であるとして復活を認めているが、イエスにしては珍しく具体的にどんな状態なのかは全く言わない。

天使というのは誰も姿を見た事がない訳で、目に見えない霊的存在(命)として神の支配領域に戻るという意味で言ったのであろうか。福音とは神の国の到来であり、地上に神の支配が及ぶと言うのがイエスの考えであり、上記のように亡くなった者も命(霊)は神の支配領域に入るのだから、生きている者の神であると言い得たのだろう。亡くなった者は目には見えないが、無ではないと言う考えだと思われる。それ以上は、人間には(人の子・イエス自身も)判らないのだから、死後に関する事だけは抽象的表現(神に任せておけば良い)にならざるを得ないというのも、もっともである。つまり、イエスは徹頭徹尾、今、体を持って生きている者に「現世の生きている命」というものの価値を説き続けていたとも言えるだろう。最後の晩餐の後、イエスはオリーブ山の園ゲツセマネにペトロとヤコブとヨハネの3人の弟子だけを連れて行き、彼らに自身の死の恐怖を語る、「私は悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい(マルコ14:34)」。誰にでもある死を前にした恐れと苦しみを率直に吐露し、弟子達に同伴を求めたが、弟子達はだらしなく眠って同伴者の務めを果たさず、イエスは一人で神に対して祈り続けたとある。結局イエスは最終的に運命を受け入れた。イエスは逮捕され、十字架刑に処せられるが、最後に「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」とアラム語で叫ぶ(マルコ12:33-34)。これは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」の意味だ。マルコは、イエスの受難を旧約の詩編やイザヤ書の「苦難の僕」のイメージで描いている。神の国の宣教のために生涯を捧げた者が、ローマの反逆者としての極刑である十字架刑で苦しみながら死んでいく有様は、神は一体何をしているのかという問いを生みだす。イエスはまさに神から見捨てられた状態で世を去ったとマルコ福音書は強調している。実に現実に即したリアルな描写である。歴史上、神がスーパーマンのように悪をなぎ倒した例はない。メルヘンチックに虚構を描いて、美談に仕立て上げるのは宜しくない。

4.おぎんは、棄教して殉教しない真の信仰者の姿かも

おぎんは、死んだ両親だけ地獄に行かせて、自分だけ天国に行く訳にはいかないと思った。実際は、死んだらどうなるかなど、生きている人間には判らない。天国と地獄があるかも判らない。神が直接啓示したのではない事は聖書を読めば判る事で、一部の人間が啓示を受けたと思い込んで考え出した論理に過ぎない。聖書には死生観はたくさんあり、それぞれが異なっている。そうであるのに、地獄に堕ちると嘆いたり、天国に行けると喜んだり、右往左往しているのは滑稽である。おぎんは両親が地獄へ堕ちたと思い込んでいるが、両親と共に地獄に堕ちる等と証明出来るものは何もない。おぎんは家族の絆、人の絆を重視した。人間として生きている限り、自分の力ではどうしようもない事がある、その最たるものが死である。自分の力を越えた超越的存在があると考えざるを得ない。しかし、それは人知を超えているので、どんな存在なのかはほとんど判らない。すると、生きている人間がとるべき態度は、人間の力を越えた存在がある事を認めた上で、死なざるを得ない人間は、今生きているこの命を大切にして、家族の絆、人との絆を保って現実の生を生き抜く事に尽きる(イエスのポジティブ思考そのもの)。そうなると、信仰と家族の絆は何も矛盾しない。この当たり前の事実に気付く事が出来れば、殉教は起こらないだろう。おぎんに自覚はなくとも、薄々この事に気が付いていたのかもしれない。おすみもそうだ。そもそも信仰と家族の絆が矛盾するなら、とっくに離婚している。信仰しながら夫婦で暮らしていた事実は、両者が矛盾しない証拠であろう。では、何故棄教したと思われたのか?おすみは「天国へ行きたいと思わない。ただ貴方のお供をしたい」と言った。天国があるかないかは誰にも判らない。判るのは夫婦の絆だ。夫婦の絆を重んじて共に死のうと思っている、信仰と絆が矛盾しない。孫七も、おぎんの眼の奥を見て、人間の本当の心を見たので棄教したのだろう。おぎんの棄教は、死の寸前の三人の命を救った。一人の命さえ救うのは困難なのに。これを堕落などと言うのは、「作者は甚だ懐疑的である」の文章からも、芥川自身も納得していない。
5.「マルガリータ、村木嵐著、2010年文藝春秋」

(あらすじ)天正10年(1582年)切支丹大名の大村純忠・大友義鎮・有馬晴信の支援とヴァリニャーニの勧めと引率で、千々石ミゲル(有馬晴信の従弟、大村純忠の甥13歳)と伊東マンショ(大友宗麟の妹の孫13歳)が正使、中浦ジュリアン(14歳)と原マルチノ(11歳)が副使としてローマに派遣され、教皇グレゴリオ13世に謁見し、8年後に帰国した。直後、秀吉に呼ばれてからミゲルは手足が不自由となり、大村藩のためにも耶蘇会を抜けて棄教し、清左衛門の名の侍に戻る。妻・珠はミゲルの幼馴染で、側に居たくてキリスト教にも入信したが、難しい宗教や政治の話は分からなかったが、ミゲルの行動にはすべて従い、ミゲルが棄教すれば自分も躊躇なく棄教した。かつての仲間は真意や苦しみを理解してくれるが、珠には分からない。マンショ、マルチノ、ジュリアンの3人は1608年40歳前後で司祭になったが、マンショは早々に死去、マルチノも1614年高山右近の他・司祭・修道士・信者350名と共にマカオに追放された。小倉城下で捕まったジュリアンは、1年余り棄教を迫る拷問を受ける。その際、代官が顔を検めに清左衛門を呼び出した。清左衛門は顔が違うと助けようとするが失敗、次に自分の心はキリシタンなので、ジュリアンと共に仕置きしてと必死で訴える。驚いた珠は、清左衛門の妻でもう長らく小倉で一緒に暮らし、キリシタンではない事は周辺の人に聞けば分かると興奮して騒ぎ立てた。代官もその情報は得ていたので清左衛門の訴えを信用しない。それからと言うもの、静左衛門は空ろになり食事も水も取らずに弱っていった。珠が少しでも口に入れるよう懇願しても、その瞳には何も映らないようで何も語らない。最期に伊那姫が来た時だけ眼を動かし、かすかに微笑むとその名を呼び、最後に「まるがりいた」と呟き息を引き取った。半年後、ジュリアンは穴吊るしの責めを受ける事となり、長崎奉行の計らいで珠と会う。

珠らしからぬ皮肉な口調で「珠にはミゲル様しかいなかったのに、ミゲル様は最後まで私一人除け者にして、ジュリアン様と一緒に殉教を望んだり、伊那姫様に「まるがりいた」と呼びかけて死んだ。ジュリアン様も居もしない天主など捨てて、私の大嫌いな伊那姫様も、キリシタン信徒の事も皆忘れてしまうと良いのです!」と言い放つ。ジュリアンは珠に優しく思い違いを諭す「珠がいつも側に居たからこそ、ミゲルはもちろん我々も頑張って来れた。天主様の話をよく聞く賢いマリアと、話はよく分からないが一生懸命皆のために働くマルタの話を知っているね。この日本にはマリアよりマルタが必要なのだ。ミゲルはいつも珠をマルタのようだ、なにより尊いと褒めていた。だから、ミゲルは珠に救われながら立派に生きる事が出来た。そんな珠をミゲルが嫌っていると想うかい?ミゲルに逢ったら珠が泣いて怒っていたと伝えようか?」。「いいえジュリアン様、珠は笑ってお見送りします。ミゲルには、元気に畠を耕していると伝えてください」。「まるがりいた」とは、幼き日に珠が母から受け継いだ真珠で、ミゲルがヨーロッパから無事に帰ってくるようにお守りとして渡した物だった。天正遣欧施設団4人の少年の中で、何故千々石ミゲルだけが棄教したのか?それは棄教し、殉教を避け、それ以上の殉教者が出ないようにするためだった。天主を裏切り、悪名に耐えた清左衛門ことミゲルこそ、多くの人の苦悩を一身に背負った真の意味のキリシタンだった。珠は夫の信心が見えなかった事を嘆くのだった(終)。

・・・キリスト教ではキリシタンの悲劇的話が美化されて語られるが、華々しい天正少年使節団の陰に、教科書には載っていない信仰に対する渇望や政治的陰謀があったように思える。日本人を奴隷として商業的に売買し、宣教師やキリシタンによる日本古来の神社や寺の破壊は事実であったし、布教というより侵略の意図が強かった。日本人は無宗教が大多数で、宗教を客観的に眺める事が多い…キリスト教やイスラム教は変だ、宗教がらみで戦争が起きて多数の戦死者が出る、殉教者が出る。大多数の日本人は、宗教など無い方が良いと思うだろう。争いが発生すると殉教が起き、争いが拡大すると大きな戦争になる。殉教には悪い面の方が大きいように思われる。アメリカで起こった9.11事件でも、殉教の精神が色濃く反映されている。殉教は宗教の狂信とまでは言えないが、それを完全にも否定出来ない。殉教の危険さと弊害は歴史的に理解出来る。かつて日本でも特攻隊で多くの若者が亡くなっていった。作家の遠藤周作には、棄教者の心理を描いた作品が多い。求められる宗教、信仰とは、これまでの間違った観念では生まれて来ないのかもしれない。


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花嫁が来ない結婚式

花嫁が来ない結婚式

私の兄の結婚式での話。当時大学生だった私は、夏休みに帰省していて、兄が結婚すると言う事で、母と一緒に丸亀城(天守閣が小山の上に築かれている)の麓にある式場に向かった。会場には親戚や友人知人が大勢集まるが、肝心に花嫁が来ていない。前代未聞でもなかろうが、ちょくちょくある話でも無い。定刻になっても未だ現れず、式場の係員があたふたするが、どうしようもない。媒酌人の市長は忙しい身の上なので、開始しないわけにはいかない。式は後回しにして、いきなり披露宴開始となった・・・(これで良いのか?)。母は立腹して私に探してこいと言う・・・何処を探せば良いと言うのだろうか?花嫁は大阪から列車で来る筈なのに。列車で到着していなければ、駅で探しても意味が無いのだが、明治一代女の母には通じない。

披露宴は従兄弟が司会をして、何とかごまかして(ごまかしようがないのだけどなあ)進行する。媒酌人の挨拶が終わり、宴会が始まり、友人のスピーチも始まるが、花嫁は来ない。親戚の一人が「何故、花嫁が来ないんじゃ、わしゃあもう帰るという」と言う(半分冗談だろうが)。その人は酒好きなので、酒を飲まして酔わせれば良いのじゃないかと誰かがアドバイスする。私はそうかもしれんと、必死になってビールと酒を勧めるが、返杯があるので、私も飲まない訳にはいかず、注がれたら飲むが、酒は苦手で酔っ払う。這々の体で自席に戻ると、母の機嫌が最悪に悪い。こんなに大勢出席して貰っているのに、肝心の花嫁が来ないでは申し訳が立たないと、私が叱られる(何で私なんや)。外に行って見てこいと仰る。酔ってフラフラなのに・・・私を産んだ人の命は絶対なので、階段を転げるようにして降り、外の道路を長い時間眺めるが虚しい。自家用車が少ない時代、国道を通る車は滅多に無い。閑散とした道路を見るだけなのだ。これを十回以上も強制され、もう目眩がして、息切れがして、とうてい人間の顔では無くなっていた。ようやく自席にたどり着き、料理でも食べようとする。するといきなり、従姉妹が私を指名して歌を歌えと仰る(間が持てないからね)。

朝から食事抜き、お酒は十分以上の私は、足下フラフラでマイクを引ったぐり、九州に住んでいる大学生の弟である事を告知し、福岡の黒田節を歌い始めた。楽器は得意でも、歌はまるで駄目。それにプラス酩酊で役満だ。どこから声が出たのやら、声と言うよりも奇声、いやいやとんでもない雑音だったような気がするが、記憶が定かでは無い。しかし、これは良かった・・・会場が笑い転げ、爆笑の渦となった。しめた、これで時間が稼げる。あちこちから呼ばれて、また酒を注がれ、ダブルいやトリプル酔っ払いの誕生だ。それでも花嫁は来ない、もはや永久に来ないのかも知れない。しかし、会場は酔っ払いが増えてきて、花嫁のことなどすっかり忘れている人が多くなった。再度自席に戻ると、母親の顔が地獄の羅刹になっていた。私に駅まで行って連れてこいとのたまう。「かあちゃん、もう勘弁して、何でも言うこと聞くから、不可能なことは言わんといて!」と抗議したが、あえなく却下された。

「なんでやの~~~」と叫びながら、階段を転げ降りて駅に向かおうとしたら、「お~~~!」。ようやく花嫁が到着した。列車を一本乗り過ごしたのかも知れない。そこからの記憶が定かでは無い。たぶん、大急ぎで神前式を挙げたのだと思うが、確実な証拠は無い、私の頭の中には。多少覚えているのは、披露宴の最後に花嫁が登場して、万歳で終わったと思う。母は何とか機嫌を直して、さっさと家のある善通寺市に帰った。「えっ?私は?置いてけぼり?」。母から放置された私は、夫婦となった兄達を駅まで見送りにいって、それから酩酊した体で、何とか列車を間違えず(素面でもよく間違えるのだが)普通列車で善通寺市まで戻った。駅から家までは2キロと遠い。体がグラグラと揺れながら、まだ日が落ちない夕方の道を歩く。歩いている人は皆避けていく、「何故なんやろ」と思いながら歩くが、吐きそうになるのをこらえて、家にたどり着くまで2時間以上かかり、外は暗くなり始めていた。家に入ると・・・母はすでに寝ていた。私は、私は、朝から何も食べていないのに。翌日は重度の二日酔いで、私はほとんど寝ていた。2日間の断食をしたような、楽しい(誤植かも知れない)結婚式参加であった。

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