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芥川龍之介の小説「おぎん」、殉教の論理の矛盾

●芥川龍之介の小説「おぎん」

芥川龍之介が大正11年(1922年)中央公論に発表した小説。ジャンル・切支丹物(キリスト教)の一作品で、江戸時代初期のキリシタン弾圧における、キリスト教的観念と日本人的心情、キリスト教的死生観と日本人的死生観、宗教と家族制度との衝突を描いている。享年36歳で自殺していて、葬儀宗教や戒名などからキリスト教徒ではなかったと思われる。しかし、「切支丹物」と言われる「侏儒の言葉」「西方の人」「煙草と悪魔」「尾形了斉覚え書き」「さまよへる猶太人」「るしへる」「奉教人の死」「邪宗門」「きりしとほろ上人伝」「じゅりあの・吉助」「黒衣聖母」「南京の基督」「神神の微笑」「報恩記」「おぎん」「おしの」「糸女覚え書」「続西方の人」などの膨大な作品を残している。関心や興味があったのは事実だ。父親は若くしてキリスト教に改宗したが、芥川は母の実家で育てられたため信者ではなかった。でも、悩み多き芥川によって「救い」は大きな関心であり続け、死ぬ直前まで聖書を読んでいた。

(小説おぎん/あらすじ)

江戸時代初期の元和か寛永の頃、キリスト教禁教令と共にキリシタン弾圧は苛烈となった。隠れキリシタンは、見つかると信仰を確認され、棄教しない場合は火刑に処せられた。その頃、長崎郊外の浦上の山里村に、おぎんという少女がいた。元々両親と共に大阪で暮らしていたが、流浪の末に長崎に至り、両親は亡くなり孤児となった。山里村の農夫で隠れキリシタンの「じょあん孫七」は、おぎんを哀れと思い、「まりあ」の名で洗礼(ぱぷちずも)を授けて養女とした。孫七の妻「じょあんなおすみ」もキリシタンで、三人は隠れキリスタンとして幸福な生活を営んでいた。何年か後のクリスマス(なたら)の夜、ひっそりと暮らす孫七達も、この日は壁に十字架を掲げ、牛小屋にイエス(ぜすす)誕生を記念した飼い葉桶に水を張っていた。しかし、それが役人に知れて隠れキリシタンとして捕えられた。投獄されて拷問を受けても、天国(はらいそ)の門を潜るまではと、三人は辛抱して耐え抜くのだった。

代官は、三人が強情を張る理由が理解できない。事によれば三人は血の通わない人外のものかもしれない。困り果てた代官だが、法を犯す者は罰せなければならず、ついに火炙りの刑に処す。三人は刑場に連行され柱に縛り付けられた。根元には薪が山のように積み上げられている。周囲には大勢の見物人が集まり、一切の準備の終った時、役人の一人が三人の前へ進みより、天主の教を捨てるかどうかしばらく猶予を与えるから再考するように、もし教を捨てると云えば直にも赦してやると云った。しかし彼等は答えない。遠い空を見守ったまま、口もとには微笑さえ浮かべている。するとその時、おぎんが明瞭な言葉で「私は御教を捨てる事に致しました」と叫ぶ。縛られた孫七は驚愕し、「悪魔に魅入られたのか、もう少しで天主の顔も拝めるのだぞ」とおぎんを責める。おすみも、「おぎん!おぎん!お前には悪魔がついたのだよ。祈っておくれ」と声をかけるが、おぎんは返事をしない。ただ眼は墓原の松を眺めている。役人はおぎんを赦すように命じた。孫七はそれを見て、あきらめたように「万事にかない給うおん主、おん計らいに任せる」と目を閉じた。

解放されたおぎんは茫然と佇むが、孫七やおすみを見るとその前へ跪き、「お父様、お母様、勘忍して下さいまし」と涙する。「おん教を捨てました。その訳は、あの墓原に眠る両親は、天主のおん教も知らず、きっと今頃は地獄(いんヘるの)に堕ちているでしょう。私だけ天国に入るのでは申し訳がありません。地獄へ両親の跡を追って参ります。お父様やお母様は、イエス様やまりや様の御側へお出でなって」と啜り泣く。すると、おすみも涙を落し出した。孫七は「お前も悪魔に見入られたか?天主のおん教を捨てたければ、勝手にお前だけ捨てろ。俺は一人でも焼け死んで見せる」と言うが、妻は「いえ、私もお供をします。けれどもそれは…天国へ参りたいからではございません。ただ貴方の、貴方のお供を致すのです」と答える。孫七は長い間黙っていた。その顔は蒼ざめたり、また血の色を張らせたり、汗が顔にたまる。孫七の心眼は、彼の霊魂を奪い合う天使と悪魔とを見ていた。しかし、おぎんの涙に溢れた眼は、不思議な光を宿しながら彼を見守る。眼の奥に閃いているのは、無邪気な童女の心ばかりではなく、あらゆる人間の心である。おぎんは孫七に「お父様!地獄へ参りましょう。お母様も私もあちらのお父様やお母様も、悪魔にさらわれましょう」と。孫七はついに堕落した。

この話は、我国に多かった奉教人(キリスタン)受難の中でも、最も恥ずべき躓きとして後代に伝えられた物語。三人が教を捨てるとなった時、天主の何たるかをわきまえない見物人さえ、ことごとく彼等を憎んだと言う。折角の火炙りを見そこなった遺恨だったかも知れない。更に伝える所によれば、悪魔はその時大歓喜のあまり、大きい書物に化けて刑場で飛んでいたと言う。悪魔の成功だったかどうか、作者は甚だ懐疑的である。

(書評)

1.殉教とは

おぎんが語った棄教の理由は、意外なものと思われるかも知れないが、日本的心情としては十分納得できる。この小説は、日本の風土・心情とキリスト教原理主義との矛盾・衝突を主題としていて、特に家族の絆との相剋が描かれている。この矛盾する両者の本質的な問題は何なのか。その前に殉教の構造を考えてみる。

殉教は自らの信仰の為に命を失う死を指す。キリスト教の歴史で良く用いられるが、他の宗教にも見られ、宗教的迫害において命を奪われた場合や、棄教を強制されて応じないで死を選ぶ場合など、様々な形の殉教がある。正教会では殉教の語を用いず致命・致命者と言う。キリスト教の殉教(Martyria)は、「証人」という言葉に由来する。殉教と認定されるのは、その死がその人の信仰を証している事と、人々の信仰を呼び起こすかどうかが基準とされる。最初期の殉教者は、新約聖書・使徒言行録に登場するステファノである。十二使徒はすべて殉教したとされるが、史実の裏づけがなく伝説の域を出ない。教会は、殉教者を神と人間を仲介できる存在、聖人と位置づけて祈りの対象とした。聖人の遺体も信仰の対象となり、病気治しなどの奇跡を起こす力があると考えられ、高額で取引される事もあった。ヨーロッパにキリスト教が根付くと、聖人と聖遺物に対する各地域の要望が増え、過去の殉教が伝説化し誇大に伝えられた。

キリスト教宣教者は異文化と接触し、破壊を伴う正面衝突を引き起こし殉教が増えた。イエズス会等が非キリスト教地域に宣教に乗り出し、その後多くの宗派が世界中に宣教者を送り出すと、各地で殉教が生じる。殉教を作るのは殺す側であり、殺される側ではない。大規模な殉教は、キリスト教を排除する権力者の政策であった。日本では、個々の教義や態度が問題にされたのではなく、キリシタンである事自体が問題視された。逮捕された者もキリスト教を棄教すれば許された。しかし棄教を拒んだキリシタンは国外追放か死刑に処され、しばしば拷問の末に残酷に殺され、16世紀末から17世紀初めイエズス会士など外国人宣教師と日本人信者が殉教し、豊臣政権における二十六聖人が良く知られている。その背景には、一向一揆との戦いを経験した統治者が信徒団体による反乱を警戒した事、外国人が日本人を奴隷として売買していた事、宣教師が植民地化の尖兵となっていた事にある。この時代のキリシタンは、殉教でパライソ(天国)へ行き永遠の命を得られるという原理主義的教えを固く信じさせられていたため、彼らの多くは拷問や処刑を恐れず、嬉々として死の運命を受け入れたと伝えられる。日本におけるキリスト教徒迫害は、欧米諸国の圧力で明治時代初期に法的には廃止された。

2.殉教の背景、犠牲の交換論理

宗教には、「自我」を「無」にして「聖なるもの(神、仏)」に帰一するものだという自己犠牲の論理がある。西洋では、旧約聖書創世記のアブラハムによるイサク奉献物語が、大きな精神的規範の役割を果たしてきた。キリスト教の「殉教」思想は、国家が国民の犠牲を正当化する事に利用され、近代国家になっても、そのナショナリズムの背景にはいつも世俗化された宗教・キリスト教の「犠牲」の論理が存在する。キリシタン禁制時代に「殉教」したキリシスタンは、その後カトリック教会によって「列福」されたが、殉教者を信仰の模範として顕彰する儀礼は、祖国のために死んだ戦死者を自己犠牲の模範と顕彰する国家儀礼と同じ類型である。「神のために死ぬ」と言う殉教の観念はユダヤ教から発展したもので、マカバイ戦争で律法を守り犠牲で死ぬ者がいて、それが模範となって続く者を鼓舞する「犠牲の論理」となり、また殉教者の母が名誉を受けるのも「靖国の母」に類似している。

本来、犠牲の論理とは無縁で「生」そのものの根源的肯定を意味していたナザレのイエスの信仰は、イエスの死後にパウロ等により十字架上の刑死を「犠牲死」として、人類の原罪(神への負い目、神への負債)」を帳消しにする「贖い(償い)」と解するキリスト教へと変質した。ニーチェ「道徳の系譜」では、罪と罰を中心とする道徳観念は、「負い目」とその「帳消し」という債権・債務の経済論に支配されていると指摘した。要するに一言で言えば、「犠牲の交換論理」である。命を何かと交換する事となる。イエス死後のキリスト教の論理は、神の分身であるキリストの犠牲=神への負債の帳消し、となり破綻した論理であるが、これが国家の存続に便利な論理として2000年間受継がれてきた。内村鑑三も日本の武士道精神と殉死を尊び、「十字架」理解では、罪の賠償として死刑を要求する交換経済の論理を核としているので、典型的な犠牲の論理であり、批判されるべきだろう。ニーチェがナザレのイエスに見た「根源的キリスト教」は、罪からの解放のために如何なる犠牲(償い、贖い)をも要求しない、善悪の彼岸の生の根源的肯定の「犠牲の論理なき宗教」であると考えられる。(参照:宗教における犠牲の論理と倫理に関する哲学的研究、東京大学・大学院総合文化研究科・高橋哲哉教授)

3.イエスの死生観、生きる事への肯定

イエスは、すべてにおいて抽象的観念的な形で教えはせず、聴衆である紀元1世紀のユダヤ民衆や、付き従う者達の現実を念頭に置き、譬え話を用いたり対話の中で、具体的に自身の考えを述べている。死生観や復活に対しても体系的に論じる事は全くなく、相手の必要に応じ、その都度核心を衝いた鋭い洞察による言葉を駆使する手法を採っている。イエスは生について、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか(マルコ8:36-37)」と、命を失ったら何の得にもならない、今生きているこの命を大切にする、現実の生に対して大変ポジティブである。一方、死後の世界に関する発言はほとんどなく、死後に対する執着がない。イエスの死者の復活の観念については、復活問答でのサドカイ派の指導者達との論争に表れている(マルコ12:18-27)。歴史家ヨセフスがユダヤ古代誌でも述べているが、サドカイ派は復活を認めない立場だった(ファリサイ派は復活を認める)。彼らは、女性が生前に夫を亡くし場合、律法のレビラート婚に従ってその弟と結婚する事を繰返し、結局7人の男性と婚姻関係を持った場合、もし終末に死者の復活が起こるとすれば、その女性は一体誰の妻となるのかと問いかけた。これは、死者の復活を認めた場合、こうした不合理な事が起こりえる事を示し、復活観念に内包される矛盾を突く質問であり、イエスを陥れようとする質問だった。そこでイエスは、「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではないか。彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない…神がモーセに仰せられた言葉を読んだことがないのか。わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であるとあるではないか」と言う。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」という古い伝承の定型句で、神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神であるとして復活を認めているが、イエスにしては珍しく具体的にどんな状態なのかは全く言わない。

天使というのは誰も姿を見た事がない訳で、目に見えない霊的存在(命)として神の支配領域に戻るという意味で言ったのであろうか。福音とは神の国の到来であり、地上に神の支配が及ぶと言うのがイエスの考えであり、上記のように亡くなった者も命(霊)は神の支配領域に入るのだから、生きている者の神であると言い得たのだろう。亡くなった者は目には見えないが、無ではないと言う考えだと思われる。それ以上は、人間には(人の子・イエス自身も)判らないのだから、死後に関する事だけは抽象的表現(神に任せておけば良い)にならざるを得ないというのも、もっともである。つまり、イエスは徹頭徹尾、今、体を持って生きている者に「現世の生きている命」というものの価値を説き続けていたとも言えるだろう。最後の晩餐の後、イエスはオリーブ山の園ゲツセマネにペトロとヤコブとヨハネの3人の弟子だけを連れて行き、彼らに自身の死の恐怖を語る、「私は悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい(マルコ14:34)」。誰にでもある死を前にした恐れと苦しみを率直に吐露し、弟子達に同伴を求めたが、弟子達はだらしなく眠って同伴者の務めを果たさず、イエスは一人で神に対して祈り続けたとある。結局イエスは最終的に運命を受け入れた。イエスは逮捕され、十字架刑に処せられるが、最後に「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」とアラム語で叫ぶ(マルコ12:33-34)。これは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」の意味だ。マルコは、イエスの受難を旧約の詩編やイザヤ書の「苦難の僕」のイメージで描いている。神の国の宣教のために生涯を捧げた者が、ローマの反逆者としての極刑である十字架刑で苦しみながら死んでいく有様は、神は一体何をしているのかという問いを生みだす。イエスはまさに神から見捨てられた状態で世を去ったとマルコ福音書は強調している。実に現実に即したリアルな描写である。歴史上、神がスーパーマンのように悪をなぎ倒した例はない。メルヘンチックに虚構を描いて、美談に仕立て上げるのは宜しくない。

4.おぎんは、棄教して殉教しない真の信仰者の姿かも

おぎんは、死んだ両親だけ地獄に行かせて、自分だけ天国に行く訳にはいかないと思った。実際は、死んだらどうなるかなど、生きている人間には判らない。天国と地獄があるかも判らない。神が直接啓示したのではない事は聖書を読めば判る事で、一部の人間が啓示を受けたと思い込んで考え出した論理に過ぎない。聖書には死生観はたくさんあり、それぞれが異なっている。そうであるのに、地獄に堕ちると嘆いたり、天国に行けると喜んだり、右往左往しているのは滑稽である。おぎんは両親が地獄へ堕ちたと思い込んでいるが、両親と共に地獄に堕ちる等と証明出来るものは何もない。おぎんは家族の絆、人の絆を重視した。人間として生きている限り、自分の力ではどうしようもない事がある、その最たるものが死である。自分の力を越えた超越的存在があると考えざるを得ない。しかし、それは人知を超えているので、どんな存在なのかはほとんど判らない。すると、生きている人間がとるべき態度は、人間の力を越えた存在がある事を認めた上で、死なざるを得ない人間は、今生きているこの命を大切にして、家族の絆、人との絆を保って現実の生を生き抜く事に尽きる(イエスのポジティブ思考そのもの)。そうなると、信仰と家族の絆は何も矛盾しない。この当たり前の事実に気付く事が出来れば、殉教は起こらないだろう。おぎんに自覚はなくとも、薄々この事に気が付いていたのかもしれない。おすみもそうだ。そもそも信仰と家族の絆が矛盾するなら、とっくに離婚している。信仰しながら夫婦で暮らしていた事実は、両者が矛盾しない証拠であろう。では、何故棄教したと思われたのか?おすみは「天国へ行きたいと思わない。ただ貴方のお供をしたい」と言った。天国があるかないかは誰にも判らない。判るのは夫婦の絆だ。夫婦の絆を重んじて共に死のうと思っている、信仰と絆が矛盾しない。孫七も、おぎんの眼の奥を見て、人間の本当の心を見たので棄教したのだろう。おぎんの棄教は、死の寸前の三人の命を救った。一人の命さえ救うのは困難なのに。これを堕落などと言うのは、「作者は甚だ懐疑的である」の文章からも、芥川自身も納得していない。
5.「マルガリータ、村木嵐著、2010年文藝春秋」

(あらすじ)天正10年(1582年)切支丹大名の大村純忠・大友義鎮・有馬晴信の支援とヴァリニャーニの勧めと引率で、千々石ミゲル(有馬晴信の従弟、大村純忠の甥13歳)と伊東マンショ(大友宗麟の妹の孫13歳)が正使、中浦ジュリアン(14歳)と原マルチノ(11歳)が副使としてローマに派遣され、教皇グレゴリオ13世に謁見し、8年後に帰国した。直後、秀吉に呼ばれてからミゲルは手足が不自由となり、大村藩のためにも耶蘇会を抜けて棄教し、清左衛門の名の侍に戻る。妻・珠はミゲルの幼馴染で、側に居たくてキリスト教にも入信したが、難しい宗教や政治の話は分からなかったが、ミゲルの行動にはすべて従い、ミゲルが棄教すれば自分も躊躇なく棄教した。かつての仲間は真意や苦しみを理解してくれるが、珠には分からない。マンショ、マルチノ、ジュリアンの3人は1608年40歳前後で司祭になったが、マンショは早々に死去、マルチノも1614年高山右近の他・司祭・修道士・信者350名と共にマカオに追放された。小倉城下で捕まったジュリアンは、1年余り棄教を迫る拷問を受ける。その際、代官が顔を検めに清左衛門を呼び出した。清左衛門は顔が違うと助けようとするが失敗、次に自分の心はキリシタンなので、ジュリアンと共に仕置きしてと必死で訴える。驚いた珠は、清左衛門の妻でもう長らく小倉で一緒に暮らし、キリシタンではない事は周辺の人に聞けば分かると興奮して騒ぎ立てた。代官もその情報は得ていたので清左衛門の訴えを信用しない。それからと言うもの、静左衛門は空ろになり食事も水も取らずに弱っていった。珠が少しでも口に入れるよう懇願しても、その瞳には何も映らないようで何も語らない。最期に伊那姫が来た時だけ眼を動かし、かすかに微笑むとその名を呼び、最後に「まるがりいた」と呟き息を引き取った。半年後、ジュリアンは穴吊るしの責めを受ける事となり、長崎奉行の計らいで珠と会う。

珠らしからぬ皮肉な口調で「珠にはミゲル様しかいなかったのに、ミゲル様は最後まで私一人除け者にして、ジュリアン様と一緒に殉教を望んだり、伊那姫様に「まるがりいた」と呼びかけて死んだ。ジュリアン様も居もしない天主など捨てて、私の大嫌いな伊那姫様も、キリシタン信徒の事も皆忘れてしまうと良いのです!」と言い放つ。ジュリアンは珠に優しく思い違いを諭す「珠がいつも側に居たからこそ、ミゲルはもちろん我々も頑張って来れた。天主様の話をよく聞く賢いマリアと、話はよく分からないが一生懸命皆のために働くマルタの話を知っているね。この日本にはマリアよりマルタが必要なのだ。ミゲルはいつも珠をマルタのようだ、なにより尊いと褒めていた。だから、ミゲルは珠に救われながら立派に生きる事が出来た。そんな珠をミゲルが嫌っていると想うかい?ミゲルに逢ったら珠が泣いて怒っていたと伝えようか?」。「いいえジュリアン様、珠は笑ってお見送りします。ミゲルには、元気に畠を耕していると伝えてください」。「まるがりいた」とは、幼き日に珠が母から受け継いだ真珠で、ミゲルがヨーロッパから無事に帰ってくるようにお守りとして渡した物だった。天正遣欧施設団4人の少年の中で、何故千々石ミゲルだけが棄教したのか?それは棄教し、殉教を避け、それ以上の殉教者が出ないようにするためだった。天主を裏切り、悪名に耐えた清左衛門ことミゲルこそ、多くの人の苦悩を一身に背負った真の意味のキリシタンだった。珠は夫の信心が見えなかった事を嘆くのだった(終)。

・・・キリスト教ではキリシタンの悲劇的話が美化されて語られるが、華々しい天正少年使節団の陰に、教科書には載っていない信仰に対する渇望や政治的陰謀があったように思える。日本人を奴隷として商業的に売買し、宣教師やキリシタンによる日本古来の神社や寺の破壊は事実であったし、布教というより侵略の意図が強かった。日本人は無宗教が大多数で、宗教を客観的に眺める事が多い…キリスト教やイスラム教は変だ、宗教がらみで戦争が起きて多数の戦死者が出る、殉教者が出る。大多数の日本人は、宗教など無い方が良いと思うだろう。争いが発生すると殉教が起き、争いが拡大すると大きな戦争になる。殉教には悪い面の方が大きいように思われる。アメリカで起こった9.11事件でも、殉教の精神が色濃く反映されている。殉教は宗教の狂信とまでは言えないが、それを完全にも否定出来ない。殉教の危険さと弊害は歴史的に理解出来る。かつて日本でも特攻隊で多くの若者が亡くなっていった。作家の遠藤周作には、棄教者の心理を描いた作品が多い。求められる宗教、信仰とは、これまでの間違った観念では生まれて来ないのかもしれない。

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