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イエスの幼児物語

「トマスによるイエスの幼児物語」

(講談社文芸文庫『新約聖書外典』訳者・八木誠一)から概要を簡単に紹介

冒頭で、「私イスラエル人トマスは、異邦のすべての兄弟に、私達の主イエス・キリストの幼時の頃の事、またその大いなる業、イエスが私達の国に生まれて行なったすべての事を語らなくてはならないと思う」と、本の概要が記されている。

5歳のイエスが、河原で泥をこねて12の雀を作りながら遊んでいると、父ヨセフから安息日には物を創ってはならないと注意され、イエスが手を拍って雀に「行ってしまえ」と叫ぶと、雀は羽をひろげて鳴きながら飛んでいった。

イエスの噂を聞いた律法学者アンナスの息子がやってきて、イエスがせき止めておいた水を流してしまう。イエスは怒り、「愚かなる者よ。この穴と水がお前に何の不正をなしたというのか。見よ、今やお前は木のように枯れる」と言うと、アンナスは本当に枯れてしまった。イエスが走ってきた子供と肩がぶつかると、イエスは怒り「お前はもう道を歩けない」と言うと、その子は本当に死んでしまう。枯れた子供と死んだ子供の両親はヨセフに抗議を申し立てる。父ヨセフは「どうしてあんなことをするんだ。あの人達も困るし、それに私達を憎んで迫害しているぞ」と叱ると、イエスは「こうしたお言葉が貴方のものでない事は解っています。でも貴方のために黙っていましょう。しかしあの人達は罰を受けるのです」と返事をすると、苦情を言い立てた人は全員盲目になってしまう。さすがにヨセフは怒り、イエスの耳を引張り叱るが、イエスは「貴方は物を探しても見つけないのが良いのです。貴方は本当に賢からぬ振る舞いをした。私が貴方のものだという事が解らないのですか。私を悲しませないで下さい」と父をなじった。

ザッカイという教師がその様子を見てヨセフに、イエスの教育を自分に任せるように言う。教師はイエスに、アルファからオメガまでの文字を教え始めるが、イエスから「あなたはアルファの本性も知らないくせに、どうして他の者にベータを教えるのです。偽善者よ、先ず知っているものなら、アルファを教えなさい。そうしたら、ベータについてもあなたを信用しましょう」と言う。教師は答えられない。そこでイエスは、「先生、第一の文字(A)の構成を聞きなさい。まず次の事に注意しなさい。この字は(二本の)直線と一本の中間線を持ち、これはご覧の通り(ふたつの)一緒になる直線を渡っている。そして(ふたつの)直線は一点に集り、上にあがり、輪舞し、ぐるりとまわって来る。Aという字は三部分の、同種の、同じ長さの直線を持っているのです」と難解で意味不明な事を言って煙に巻くので、教師は嘆き悲しむ。周囲の人が教師を慰めていると、イエスは大笑いしながら「今度はお前の方が実を結び、心の盲人なら見えるようになるべきだ。私は上から来たもの、それはお前達のために私を遣した方が私に命ずる通りに、人を呪っては天へと呼ぶためなのだ」と言うと、これまでイエスが呪って死なせたりした人達が復活してしまう。そのため、それ以降、少年イエスを怒らせる人はいなくなってしまった。

数日後、イエスは屋根の上の露台で友人と遊んでいると、一人が屋根から落ちて死んだ。他の子供は逃げてしまうが、死んだ子の親がやってきて、イエスにお前が突き落としたんだろと怒る。親があまりしつこく言うので、イエスは死んだ子の傍ら立ち「おいゼーノン、起きて言っておくれ、僕が君を突き落としたのかい」と呼びかけると、倒れていた子供が起き上がった。生き返った子供は「いいえ、主よ、あなたは突き落としたのではなく、生き返らせたのです」と答えたので、両親は感謝してイエスを拝んだ。また数日後、木を切っていた若者が誤って自分の足を切り、出血多量で死んでしまう。人だかりの中からイエスが現われ、若者の足をつかむと治ってしまう。「すぐ起き上がるんだよ。木を割ったら僕の事を思い出してね」と恩きせがましい事を言うが、周囲の人達はイエスを拝んで、「まことに神の霊がこの子の中に住んでいる」と話しあった。

ある時、イエスは母親に言われて、水瓶を持って水汲みに行った。しかし、途中で落として水瓶を割ってしまった。するとイエスは、着ていた上衣を拡げ、それに水を満たして、母親の処に運んで来た。

8歳になったイエスは、親と一緒に種蒔きに行った。イエスが蒔いた種は一粒だったが、刈り入れて脱穀すると、何と100コル(約四万リットル)の麦がとれたのだ。

大工である父の処に、寝台を作ってくれという注文が入った。ところが、一枚の板がそれと組み合わせる板より短く、ヨセフがどうしたものかと困っていると、イエスが「二枚の木を下に置いて、真ん中からみて片方の端を合わせるのです」と言う。ヨセフが言われた通りやってみると、当然片方の端が合わない。するとイエスが板引っ張ると、板が伸びて長さが同じになった。

父ヨセフは、息子イエスが賢くなってきてはいるが、まだ文字を知らない事から、やはり教師に付けた方が良いと思って、教師の処へ連れて行った。教師は、まずギリシア文字を、その後ヘブライ文字を教えましょうと言った。それは、その教師が少年の知識の程を知っていて怖れたから。いろいろ教えてみるが、イエスは「貴方が本当に先生で、良く文字を知っておいでなら、私にアルファの力を言ってごらんなさい。そしたら私はベータの力を申しましょう」と言う。教師は怒ってイエスの頭を叩く。するとイエスはは痛かったので、教師を呪った。すると先生は、たちまち気を失って倒れ、頭を地面にぶつけてしまった。イエスは家に帰った。ヨセフは妻マリアに、息子のイエスを外へ出すと、すぐ人を殺してしまうから外へ出すなと言った。

別の教師が、自分ならばうまく教えられるだろうと言う。そこでヨセフは「兄弟よ、もし勇気がおありなら、この子を連れていって下さい」と言ってイエスと教師を送り出した。教室に入ったイエスは、前に立って語り出した。口を開いて、聖霊によって語り、周りに立って聞いている人達に、律法を教え始めた。大勢の人が集まって来て、傍に立って聞いていたが、その教えの美しさと言葉の巧みさとに驚いてしまった。家で待っていたヨセフだったが、心配になって学校に来てみると、誰も死んでいない。しかも、教師はイエスの事を褒めてくれる。その様子を見ていたイエスは、「貴方は正しく語り、また正しく証言したから、貴方のためにあの打たれた教師も癒やされるのです」と言うと、以前に死んだ教師も生き返った。

ヨセフは息子ヤコブに、木を束にして家に運ぶよう命じた。ヤコブは途中で蝮(マムシ)に噛まれてしまう。もう駄目だと思った時にイエスが現れ、ヤコブの傷口に息を吹きかけると治ってしまう。蝮も体が裂けて死んでしまった。

以降も奇跡の話が続く。近所の死んだ赤子を生き返らせ「この子を起こして乳をやり、僕を憶えて下さい」と言ったり、建築現場で死んだ人を生き返らせたり・・・トンデモ系の奇跡話が続き、最後は十二歳のイエスで巻を閉じて終わる。

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1.翻訳者で聖書学者の八木誠一氏の解説

この書は二世紀末頃に書かれたと思われ、イエスが五歳から十二歳の間に行なった奇蹟や神童ぶりを、誠に大袈裟に叙述した伝説。モチーフはしばしば正典福音書から採られていて、結果として幼いイエスが、後に公生涯において行なったとされる様々な奇蹟を暗示するような事を、既にやってのけた形になっているが、歴史のイエス再構成のための史料としての価値は全くない。内容的にもかなりひどいもので、正典福音書でのイエスの奇蹟は人助けのためになされるという性格が強いが、ここでは少年イエスのお気に召さない人物はあっさり呪い殺されてしまう。イエスらしさはほとんどなく、悪魔的で高慢な少年が描かれている。こんな話を創り出した人々は、もし自分達が奇蹟能力を持っていたら、こんな事しかしないのではないかと疑わせる内容である。結局著者は不明で、トマスでもなくユダヤ人でもないであろう。

2.大衆読物としての物語

新約聖書の外典の中で「幼時福音書」と総称される文書群の一つで、ヤコブ原福音書に次いで古い。特定の教義的関心はほとんどなく、同じ外典文書のトマス福音書との関連もなく、ギリシア語の外に多数の古代語の翻訳写本が残存する。

イエスの少年時代の記述は、新約聖書正典では、わずかにルカ福音書の中で12歳時のエルサレム神殿での出来事しか書かれていない。おそらく、イエスの誕生や幼時に関する興味と伝説は、ユダヤ戦争前後から始まったと思われ、伝説の源流は、ルカ福音書が書かれた時代より以前まで遡れる。「トマスによるイエスの幼児物語」は、イエスが5歳から12歳の間に行なった奇蹟や神童ぶりを、大衆小説よろしく、かなり大袈裟に記述した伝説になっている。ルカが資料としたものに、こうした伝説の原型があり、それをもとに12歳の出来事が書かれたのだろう(類似性が見られる)。時代と共に増補されていった感じだろうか。故に、歴史の再構成のための史料とはなりえない。しかし、当時から後の時代まで大変流行った模様で、色々な言語に訳されている。言ってみれば、ゴシップ好きの大衆小説と言えば良いだろう。高慢な少年イエスが魔術を使うという感覚で、この物語を書いたキリスト者の神経を疑うが、当時としては人気を博したと思われる。古代人ならいざ知らず、現在でも奇跡好きのキリスト者がいるが、同じレベルであろう。内容から、この物語の作者はユダヤ教を全く知らず、複数の非ユダヤ人が段階を経て編纂されていったと推測される。

こうした奇想天外・トンデモ系の物語は、初期キリスト教文学全体から見れば、珍しくもない。正典は使徒継承の文章だけに限定されたと言うが、現実には使徒由来のものは全くない。パウロを使徒と認定するなら、パウロの7つ真正書簡は入れられるだろうが、パウロは12使徒でもなく、直弟子でもなく、生前のイエスを知らなかった。正典の多くは一世紀に書かれたが、それでもトンデモ系の話が一部、正典には残っている。その典型的なものがマルコ福音書の「いちじくの呪い(ベタニヤ地方にあった民間奇跡伝説から採ったと思われる)」、ルカ福音書の「12歳時のエルサレム神殿での出来事」、ルカによる使徒言行録の「アナニアとサフィラの物語」などである。旧約や新約聖書外典には、神やイエスの怒りに触れて死んだ話は多くあり、一般大衆にかなり流布していて、原始キリスト教会が当初行った全財産を共有する制度があり、それに違反すると神罰が下るという迷信が教訓としてなされたのだろう。金額をごまかした事が聖霊や神に対する反抗というなら、人間は大なり小なりごまかす事があるので、皆が死んでしまう事になるだろう。信仰もくそもない、只の原理主義に過ぎず、カルト宗教そのものと言っても良い。イエス本人の考え「人を生かす、人を分け隔てしない」とも真逆で、イエスが聞いたら激怒すると思う。聖書がすべて正しい等と言うのは、一部の牧師が意図的に行う信徒教育に原因がある。キリスト教が悪いわけではない、それに関わっている人間に問題があると言わざるを得ない。
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