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オ・ヘンリー「運命の道」

オ・ヘンリーの小説「運命の道」

(あらすじ)主人公の男は、フランスのヴェルノワという田舎町で羊飼いをしている。羊飼いをしながら詩を書いているという珍しい文学青年だ。だが彼は、「このヴェルノワという田舎町は、俺の住む処ではない。俺と考えを分かちあえる者なんぞ、町には一人もいない。この道の彼方に俺の運命と未来がある」と自分に言い聞かせて、この田舎町から出ていく決心をする。恋人とも喧嘩別れした。村を通る道はパリに通じている、パリに行けばなんとかなるかもしれない。その道は、村から10マイル程先で大きな道に合流していて、ちょうどT字路になっている。そうすると行先の選択が左右二つあることになる。いや、戻るという選択を考えれば三つになる。左に行くか、右に行くか、それとも行くのを諦めて戻るのか。主人公の詩人がこの三つを全部辿ったらどうなったか、つまり運命の道を辿った顛末が描いている。

(選択1)詩人の男は、左の道を選んで進む。すると、馬車がぬかるみに嵌まって困っているのを見る。見過ごせないので、馬車がぬかるみから脱するのを手助けする。馬車に乗っていたのは侯爵とその姪で、結局その馬車に同乗させて貰う事になった。馬車は侯爵の宿泊先に到着するが、そこで男は気の毒な姪を救うために悪い侯爵とトラブルを起こし、何と決闘する羽目になってしまう。決闘では、男は侯爵の拳銃に撃たれてしまい、命を失ってしまったのだ。

(選択2)詩人の男は、右の道を選んで進む。なんとかパリに辿り着き、アパートの屋根裏部屋を借りる。パリに落ち着きながら、本格的に詩作に取りかかった。しかし、そのアパートに住む女性に誘惑されてしまう。女に手紙を頼まれるが、それは王を暗殺するグループの手紙だった事で捕まり、暗殺ターゲットの替え玉にされて、銃で撃たれて殺されてしまったのだ。

(選択3)詩人の男は、分岐点で立ち止まり、考え直してやはり村に戻ろうと決心する。村に戻り、恋人と結婚し、親から受け継いだ羊を飼いながら詩を書く幸せな生活を送る。だが、詩作に没頭するあまり、家業にはあまり力を入れず、狼に羊をとられたりして羊数が減ってしまい、家計が苦しくなる。結婚した妻は、怒りを爆発させる。見かねた知り合いの老人は、都会に住む学者に詩を読んで貰えば良いと男に勧める。男はなるほどと思い、学者に自分の詩を読んで貰うが、学者の忠告は「詩を書くのを諦めて家業に精を出しなさい」というものだった。男はそのアドバイスを聞いた後、狼から羊を守る為にピストルが必要だと言って、銃を購入して自宅に帰った。家に戻った詩人は、自分の書いた詩集を火に投じ、自分の部屋に入って、買って来た銃で自殺してしまったのだ。

どちらに進んでも銃で死んでしまう、それもあの侯爵の銃で。

1.オ・ヘンリーの境地

小説では、どう選択しようと悲惨な死に方と言う運命から逃れられない結末になっている。しかし、最初の二つはちょっとした事で避けられる事だった。馬車に同乗しなければ良かっただけだろうし、アパートの女の誘惑を断れば済んだ事かもしれない。ちょっとした事で運命は変わった可能性がある。でも三番目は悲惨である。恋人と家への未練を捨て切れず、パリで自分が本当にしたいと思った希望を断念し、平凡にも家業を継いで結婚した。しかし、結局詩作を諦め切れずに家業を疎かにして、妻から激怒される。自分の夢を託した詩作自体も、学者から才能がないから詩は諦めろと言われる始末だ。一体どういう選択が良かったんだ、どうすれば良かったんだ、何をしてもどうにもならないだろ、そう思って絶望の余り自殺している。過去に戻ってやり直したいと気持ちは誰にもあるが、それは無理な相談で、過去の出来事は変えられない。意外にちょっとした事で、同じ悲惨な結末を迎える事だってある。作者は、他に選択肢はないのだろうか、いやきっとあると叫んでいる気がする。

2.オ・ヘンリーの境遇

オ・ヘンリーは1896年、以前に働いていたオハイオ銀行の金を横領した疑いで起訴された。経営が不振だった自分が発行する週刊紙の運営費に回したと思われたのだ。裁判はオースティンで行われるため、列車で行かなければならなかった。銀行側も周囲も好意的であったが、裁判が行われるオースティン行きの列車から降り、病気の妻と娘を残してニューオリンズへ逃亡してしまった。何故そうしたのかは、彼だけにしか分からない。後に、「あの時、オースティン行きの列車に乗ったままだったら、自分の人生はどうなっていただろう?」と考えたのかもしれない。1897年、妻の危篤を聞きつけて家に戻った。保釈金を納め数ヶ月間妻の看病に徹したが先立たれた。1898年懲役8年(5654ドル着服)の有罪判決を受ける。真相については彼自身一切何も語らなかった。服役前から掌編小説を書き始め、服役中にも多くの作品を密かに新聞社や雑誌社に送り、3作が出版された。刑務所での待遇は良く、薬剤師として働き夜の外出許可まで出されていた。模範囚として減刑され1901年釈放。釈放後、娘と義父母が待つピッツバーグで新しい生活を始めた。「ピッツバーグ・ディスパッチ」紙のフリーランス記者として働く一方、作家活動を続けた。しかし、何故か9か月で娘のいるピッツバーグを離れ、1902年ニューヨークに単身移り住む。当時人口400万人の大都市で作家として売込みやすかったからなのか?ニューヨークに出て来て、やっと小説家としての出発点に立った男が、どういう気持でこの暗く難解な作品を書いたのだろう。

彼の人生の大きな最初の選択肢は、裁判所に出頭せずに逃げた事。二番目が、妻の危篤を聞きつけて家に戻り、服役した事。三番目が、釈放後に娘と義父母が待つピッツバーグで新しい生活を始めた事だった。三番目は娘との幸せな生活だと思われるのに、彼は四番目を切り開こうとした。家を捨てて逃げずに安定した職に就き、娘や親戚を裏切らず生真面目に生きたところで、結局は自分の才能を開花させずに虚しい人生を生きるだけだと考えたのだろうか?再び娘を義理の両親に預け、単身ニューヨークに小説家として出てきた。オ・ヘンリー自身は、自分のこの小説の中の最後の生き方を選択しなかった。新しい四番目を選んだのだろう。或る意味、開き直りである。小説とは裏腹に、自分の人生を肯定的に生きようとした。自分の才能を信じて書き続け、著名な短編小説家となった。

ニューヨークで多くの作品が出版され、中でも「ニューヨーク・ワールド」紙とは毎週1編の作品を掲載する契約した。1905年、ヘンリーに宛てて一通の手紙(自分が子どものころ一緒に遊んでいた男の子ではないかとの内容、それほどヘンリーの本は細部にわたって情景描写が行き届いていた)が届き、それが縁で1907年幼なじみのサラ・リンゼイ・コールマンと再婚。新居を構えると娘のマーガレットを呼び寄せ新しい生活を始めた。しかし、過度の飲酒から体を壊し、1908年家族はまたバラバラに生活をする。1910年6月5日、主に過度の飲酒を原因とする肝硬変により病院で生涯を閉じた。ニュヨークに出てきて、八年間のオ・ヘンリーの人生は作家としての成功者の面もあるが、娘の目から見れば、家族を省みず好き勝手な事をして、最後はアル中で孤独に死んでしまったと映ったかもしれない。

人生には無数に近い選択肢があるし、運命などと決めつける必要もない。過去に囚われすぎると運命論者になってしまう。何が良いのかは、価値判断により異なる。どんな境遇であろうと、今ある自分を受け入れて生きる、先の事は誰にも分からないから気にしない。「過去の事は過去が思い煩った、明日の事は明日が思い煩う、今日の今を生きよ」と言ったのはイエス、独特の特異な人生観である。
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