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地球は毛のようなダークマターに覆われている?

地球は毛のようなダークマターに覆われている?

NASA、Nov. 24, 2015
https://www.nasa.gov/feature/jpl/earth-might-have-hairy-dark-matter/

NASAは「地球は毛のような形状のダークマターに覆われている可能性がある」という説を発表した。ダークマター(暗黒物質)は、謎に包まれた不可視の存在であり、宇宙の27%はダークマターで構成されていると考えられている。ダークマターは電磁波とは相互作用しないが、重力があるために、他の重力には引かれるので、地球の引力によって地球周辺にダークマターが集まり、さらにそれらは毛のように細い状態で分布していると予想しているが、その存在は確実視されている。1990年代に行われた計算や過去10年間に実施されたシミュレーションによれば、ダークマターは、きめの細かい粒子の流れを作り、同じ速度で動き、銀河の周りを回っているという。その粒子の流れが地球のような惑星に接近した場合、どんなことが起こるのだろうか。その答えを出すために、NASAのJPLのGary Prézeau氏はコンピュータ・シミュレーションを行った。

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分析の結果、ダークマターの流れが惑星を通り抜けると粒子が集まり、超高密度のフィラメント状ダークマターとなることが示された。ダークマターの流れは、地球からまるで髪の毛が生えているかのような状態になるはずだという。普通の目に見える物質の流れは、地球を通り抜けられずに別の方向へそれる。しかし、ダークマターには障害物でもなんでもない。地球の重力でダークマターの粒子の流れが集まり折り曲げられ、髪の毛状になり、ダークマターが最も集中している「毛根」と、毛の終わりである「毛先」があると言う。地球の核を通り抜けるダークマター粒子は、粒子の密度が平均の10億倍近くになる毛根に集中し、その位置は地表から約100万kmも離れている。毛先は地球の表面をかすめて通る粒子の流れによって作られ、その位置は毛根の2倍以上も遠い。また、木星の核を通り抜けて作られる毛根の密度は元の1兆倍になるというシミュレーション結果も得られた。「もしダークマターの毛根の場所をピンポイントで突き止められれば、そこへ探査機を送って、ダークマターに関するたくさんのデータが得られる」とPrézeau氏は語る。また他の利点もある。それは、地球内部における密度の変化、つまり核やマントル、地殻といった構造の変化が、髪の毛に反映されるので、もしそういった髪の毛に反映された情報が得られれば、惑星内部の層や凍った衛星の地下海の深さについても地図が作れると言う。

●直接観測を目指す東大神岡宇宙素粒子研究施設のXMASS

暗黒物質(ダークマター)を直接観測することを行っているのは、東大神岡宇宙素粒子研究施設のXMASS。暗黒物質は、宇宙空間で観測されている物質の5-6倍を占めると考えられている存在は直接観測では未確認の物質だが、銀河や星の形成に大きく関わってきたと考えられている。観測施設は深さ1000mの地中に建設され、直径10m、高さ10mの円筒形の純水タンクの中に、直径80cmの銅製の球形検出器が収められている。 検出器内部は、零下100度の液体キセノンで満たされ、宇宙から飛来する暗黒物質が、キセノンの原子核に衝突する際に発生する微弱な光をとらえる筈だと言う。アメリカのプリンストン大学の、同様の観測施設で研究しているが、まだ未検出のようだ。
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右脳の特定部位が大きいほど幸福感

右脳の特定部位が大きい大きいほど幸福感?京大、世界初

京都新聞 11月20日(金)

幸福を強く感じる人ほど右脳の特定部位が大きいことを、京都大医学研究科の佐藤弥准教授らが突き止めた。幸福感と脳の構造の相関を解明したのは初めて。英科学誌に20日発表した。

 心理学では幸福感の強さを質問用紙で数値的に計測できるとされる。佐藤准教授らは、質問結果と磁気共鳴画像装置(MRI)で測定した脳の各部位の体積で相関を調べた。

 10~30代の男女51人で実施。質問用紙を使い、幸福感について尋ねた。質問への回答を数値化し、各人の脳の各部位の体積と比べた結果、幸福感が強い人ほど右脳の内側にある「楔前部(けつぜんぶ)」が大きいと分かった。

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 また、快・不快と人生の意味についても質問し、回答を数値化すると、同様に楔前部(けつぜんぶ)の体積と相関していた。快・不快と人生の意味の感じ方は幸福感と関わりがあるという心理学の知見を脳科学で裏付けた。

 楔前部は左右の大脳半球にある。右側の体積だけ大きかった理由は、右脳が感情を担うとする説と関連する可能性があるという。佐藤准教授は「幸せの意味は古代の哲学者以来、考えられてきた。脳科学的な視点で幸福の一端を解明できた」と話す。


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遺伝子組換え生物とカルタヘナ法

●遺伝子組換えサーモン

天然サーモンの漁獲量減少、人口増加に伴う需要拡大に対応できる技術として、遺伝子組換え鮭が承認された。米国マサチューセッツ州のアクアバウンティ・テクノロジー社が開発した正式は「アクアアドバンテージ・サーモン」。アトランティックサーモンに、キングサーモンの遺伝子を加えると通常のサケと比べて、体長は2倍、重さは8倍、成長スピードは2倍以上。米国食品医薬品局(FDA)は、食用として安全で、環境への影響もないと評価し、2014年11月に承認。アメリカでは今年から市場に出回る。TPPが採択されれば日本のスーパーにもこの鮭が並ぶかも(Health Net Media)

●人の母乳を出す遺伝子組み換え乳牛

中国研究チームが、人間の母乳代わりになる可能性がある「遺伝子組み換え乳牛」を誕生させた。中国農業大学の研究者らは、乳牛の胚のDNAにヒトの遺伝子コードを組み入れる研究を行い、人間の母乳と同等の栄養分を持つ乳を出す牛を2003年に初めて誕生させた。遺伝子組み換え乳牛が出すミルクは人間の母乳よりも味が強く、甘いという。北京郊外の試験農場に遺伝子組み換え乳牛が300頭おり、毎週子牛も生まれている。プロジェクト・リーダーリー・ニン教授は「われわれの遺伝子組み換え牛乳は、母乳の成分と80%同じ、その中には免疫システムを向上させるとみられる抗体なども含まれている」と説明。数年以内に、手頃な価格の商品化を目指している。(北京2011年6月16日 ロイター)

●低刺激性猫『Ashera GD』

米Lifestyle Pets社では、遺伝子工学を利用して、人へのアレルギー反応を起こさせないようにした猫『Ashera GD』を作成した。猫アレルギーを持つ人でも、猫が飼えるように、猫が持つタンパク質の遺伝子組み換えで、低刺激性の猫を誕生させた。遺伝子組み換えで生成されたタンパク質は、暗闇で光る性質があるので、暗闇でオレンジ色に光る猫。この猫はすでに商品化されており、高額にもかかわらず人気で生産がおいつかないという。(Wired)

●発光する猫

エイズを引き起こすHIVウイルスの治療法を研究するために、蛍光クラゲから採取した遺伝子を使って遺伝子操作された光る猫がイギリスで生み出された。韓国でもパーキンソン病やアルツハイマー治療のために遺伝子操作された蛍光犬が生み出されており、世界的に遺伝子レベルでの病気の治療法研究が進められている。この研究の目的は、HIVウイルスを防ぐタンパク質を生み出す遺伝子をクラゲの発光遺伝子を使って見つけ出すこと。クラゲ遺伝子が組み込まれた猫に紫外線を当てると、クラゲ遺伝子によって生み出されたタンパク質が発光し猫の身体や爪が光る。遺伝子組み換えを行った研究者は、この方法でHIVウイルスの治療法を調べるスピードが上がると言う。発光猫の作成方法は、猫の卵子に無害なウイルスを使って発光タンパク質を作る遺伝子(発光遺伝子)と、猫のHIVウイルスやFIVウイルスと戦う遺伝子(抗HIV・FIVウイルス遺伝子)を入れ、体外受精で代理母猫に生ませた。(コモンポスト)

●蛍光色の糸を吐くカイコ

農林水産省の蚕糸・昆虫農業技術研究所(現、独立行政法人農業生物資源研究所)が2000年に世界で初めて遺伝子組換え技術を活用して卵に外来遺伝子を顕微注射することにより開発したカイコである。2008年には、オワンクラゲの緑色蛍光タンパク質(GFP)によって光るシルクを作ることに成功した。2013年(平成25年)群馬県にて、免疫生物研究所、前橋遺伝子組換えカイコ飼育組合と連携し、稚蚕共同飼育所を活用して掃立1回につき約10万頭の大量飼育を計画している。農林水産省は、カイコは飛べないうえに人が世話しないと生きられないため、周辺の生態系に悪影響を及ぼす可能性は低いと判断した。この繭から作った絹糸に紫外線などを当てると緑色に光る。ウエディングドレスや舞台衣装の生地などへの活用、体内で使う再生医療の素材などへの応用も期待されている。一方、米国ノートルダム大学では、クモの遺伝子を導入したカイコで、カイコそのものよりも強い糸、カイコとクモの両方のタンパク質を含んだ糸を安定的に紡ぎ出した。この糸は、手術用の縫合糸や義手・義足、腱、人工組織培養の足場、マイクロカプセルといった用途が想定されている。(Wikipedia)

●光るメダカ ナイトパール

2001年台湾のタイコン社は、発光クラゲの遺伝子が組み込まれたメダカがつくった。ブラックライトなどで紫外線をあてると、蛍光緑色に発光するのが特徴。蛍光遺伝子の組み込みは実験動物では珍しくもないが、この光るメダカは「ナイトパール」という商品名がつけられ、観賞魚をあつかう台湾のペットショップで広く販売された。台湾では、日本ほど遺伝子組換え生物への抵抗感がないようで、人気商品として定着して価格は1匹数百円の。また、アメリカのヨークタウン・テクノロジーズ社は、ゼブラフィッシュという熱帯魚に蛍光遺伝子を組み込んだ観賞魚も全米で販売している。開発はシンガポールの大学で行われ、そのライセンスをヨークタウン・テクノロジーズ社が買い取り、「グローフィッシュ」という商品名で2003年から一般販売。価格は1匹5ドルくらい。緑色に光るものに加えて、イソギンチャクの遺伝子を組み込んだ赤く光るもの、さらに黄色やオレンジに光るものもある。

http://www.azoo.com.tw/front/bin/cglist.phtml?Category=5490

https://www.glofish.com/

●排泄物が環境に優しいブタと牛

ゲルフ大学の研究者達は、地球にやさしい排出物を出すことで、水生生物の保護になる、そんな遺伝子操作をした豚を、頭数を限定して作り出すことを承認された。エンバイロピッグ(Enviropig、環境と豚を掛け合わせた言葉)とあだ名されるこの豚は、尿や糞が、普通の豚よりも65%リンを減らすように遺伝子操作されている。また、カナダの研究者達の何人かは、より少ないえさを食べ、結果としてより少ないメタンガスを出すように、牛の遺伝子操作をすることを試みた。研究者たちは、平均で、3頭の反芻動物が、中型車1台と同じくらい地球の温暖化に影響を及ぼすとしており、家畜のメタンガス排出を削減するということは、車をより環境にやさしいものにするのと同じようなものだとしている。これらの研究者達は、普通の牛より25%メタンガスを少なく排出する家畜のラインを作り出した。

●自らを絶滅させる遺伝子組換えの蚊

蚊の遺伝子組み換えによって、毎年何百万人もの人々(とりわけアフリカの子どもたち)の死因となっているマラリアやデング熱といった病気を根絶することが可能となる。蚊が成長する為に必要な抗生物質を持たない為、遺伝子組換えにより作られた雄の蚊を放すと、天然の雌の蚊と交尾して子孫を産むが、抗生物質のない子孫も、組換えによって生まれた雄も死滅する。雄をどんどん、放すことによってこの蚊は絶滅を歩む。(Wired)


*アメリカでは、一部の遺伝子を換えるのではなく、百万以上の遺伝子をゼロから組み上げた「合成生物」まで登場して、「神の領域に突入した」と注目を集めている。しかし、技術の急速な普及は、生物多様性や食品安全などへの不安があり、さらには、悪用されればバイオテロにつながると危惧する声もある。

*カルタヘナ法:遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」の別称。遺伝子組換え生物などの取扱いの規制に関する国際的条約「カルタヘナ議定書」の国内での実施に必要な取扱いを定めた法律のことで、2003年6月に成立し2004年2月から施行されている。この法律では、遺伝子組換え生物などの使用などに先立ち、その使用形態に応じた対処の仕方(交雑防止措置など)を実施することが規定されており、環境省をはじめ厚生労働省、農林水産省など、6つの機関が関わっている。遺伝子組換え生物などの輸入・輸出、栽培、飼養、販売などに当たり、その開発者や輸入者などは手続きを行ったうえで主務大臣の承認を受ける義務が定められている。遺伝子組換え技術を利用したペットなどを海外で購入する場合などもこの法律に該当する。

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遠藤周作「わたしが・棄てた・女」

遠藤周作「わたしが・棄てた・女」

(あらすじ)--------------
大学生の吉岡努は、拾った芸能雑誌の文通欄に名前のあった森田ミツと知り合い、2度目のデートの際、裏通りの安旅館に連れ込み強引に体を奪った。しかし、やや小太りで田舎臭いミツに魅力を感じるどころか嫌悪感すら覚えた吉岡は、以後一切彼女に会うことをしなくなった。吉岡を一途に愛し続けるミツであったが、彼女の手首には赤いあざがあった。大学を卒業した吉岡は、勤め先の社長の姪である三浦マリ子と親しくなり、かつてマリ子がミツと共に同じ石鹸工場で働いたことがあることを知る。さらに当時開業したばかりのソープランドへ行き、ソープ嬢からミツがここでも働いていたと知る。ミツが気になる吉岡は、ある日ミツと再会するが、彼女はハンセン病の疑いがあり、精密検査のために御殿場の病院に行かなければならないことを涙ながらに訴えた。そんなミツに対し吉岡は、おざなりな慰めの言葉をかけ、逃げるようにその場を立ち去った。はじめは病院に強烈な抵抗を抱いていたミツだが、次第に解け込むようになる。だがその矢先にミツは誤診であり、ハンセン病ではないことがわかる。それまでにない喜びを感じ東京へと戻ろうとするミツだったが、急に孤独感を深め、患者としてではなく今度は奉仕の日々を送る修道女たちを手伝うために、病院へと戻ってしまう。マリ子と結婚した吉岡は、ミツのことが気になり年賀状を送るが、ひとりの修道女から返事が届き、ミツが交通事故で死亡したことを知る。その長い手紙には、命の灯が消える間際、ミツの遺した言葉が記されていた。
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この作品は、吉岡努の視線から描いた「ぼくの手記」と、森田ミツの視線から描いた「手首のあざ」の二つの視点で描かれている。遠藤周作の作品のうち、純文学作品に対して軽小説に位置づけられる作品の中で、広く読まれている小説である。読者の感想も、様々なものがある。この作品は、映画やミュージカルにもなった。遠藤周作は、死のちょっと前に、このミュージカルを見学して泣いたと言われる。小説のモデルとなったのはハンセン氏病の病院だった復生病院の婦長の井深八重さん。

ほとんどの読者は、主人公は聖女のような薄幸の女性ミツだと思うだろう。確かにミツが登場しなければ小説は成り立たない。しかし、本当の主人公は吉岡努だと、私は思う。お涙頂戴の小説とも異なる。ゆえに、読者の中には後味が悪いと感じた人もいるようだ。前の頁にあるように、自分は利他主義だと思う人でも、大なり小なり自分の利を考えている。「いや違うよ」と言う方がいるかも知れないが、純粋に利他主義に徹する事が出来る人は奇跡的に少ない。そうでないと言うのならば、難民など社会的弱者がいる状況はもっと緩和されているだろう。吉岡は屑だと言うなかれ、誰にでもある事で、我々も自他主義にすぎないと知るべきだろう。遠藤周作は、吉岡を読者に投影していると考える。つまり主人公は、投影された読者自身なのだと思う。

吉岡は貧乏学生だが、貧乏はもうごめんだ、金と女と出世が欲しいという、言ってみれば世間に一般的に非常に多いタイプだ。女性で言えば、良い男と一緒になって、良い家に住み、良い洋服を着て、暇を作っては美味しいものを食べて旅行でもしたいという、多くの女性が願っているのと本質的には変わらない。実際、自分では気がつかないだろうが、行っている事は大なり小なり吉岡となんら違いが無い。一方。ミツは明らかにイエスが投影されている。通常は、愚かな女、馬鹿な女、田舎者の要領の悪い女、しかし一途に愛する女と思われるだろう。

イエスは、ガリラヤの寒村で生まれ、ほとんどをガリラヤでの宣教と癒やし活動を行った。最下層民に身を置き、被差別者、罪人、ユダヤ教からは無資格者とされた男女を、来たるべき神の国では、もっとも大いなる人とされると説いた。イエスは「神の先行する赦し、無償の愛、無条件の愛」で行動した。神がイエスを動かした。イエスは、家族からは、気が狂っているので引き取りたいと思われ、実際に連れ戻すために来たが、イエスは自分の周囲にいる人達を自分の母・兄弟・姉妹と言って拒否している。宗教指導者からは、悪霊の頭と罵られ、領主からは抹殺されそうになる。エルサレムの都に上って、祝祭の時に、集まってくる住民に宣教しようとしたが、神殿大祭司・神殿貴族の奸計で、住民は扇動されて十字架刑を要求し、ローマ総督ピラトから十字架刑を言い渡される。イエスは十字架を背負ってゴルゴタに行き、人からバカにされ、嘲られ、罵られた。最後は、神の助力もなく絶叫の中でボロボロになって死んでゆく。確かに悲惨であり、かつ愚かに見えるが、その愚かさの中に愛があり、愛の中には愚かさがある。人間の小利口が、実は本当の愚かさである事を示している。これを理解していないと、この小説は結末がない小説と思い込んでしまう。

ミツは病院にいる療養患者(被差別者、貧者、社会から疎外された人々の象徴)のために、栄養がある卵(命のパン)を運んでいて、交通事故で亡くなる、卵を守ろうとして。息を引き取る直前に、吉岡への言葉を残し。吉岡は、宴会に招いても招いても参加しない人が象徴されている。その話は、イエスが語った「見失った羊(イエスの周囲に集まった者達は社会から阻害され排除された者が多かったが、そうした一人でも欠ける事がない世界こそが神の国である)」「大宴会への招待(神の招きは、断られても断られても弛まぬ招きであり、無条件にすべての人に開かれている。招きを断った者は、再度腰を落ち着けて考えてみる必要がある)」などの譬え話の内容も示唆している(神はまれに見る非常にお人好し、途方もなく人を愛している、裏切られても諦めない方だ)。このように、ミツはイエスの象徴であり、その背後に誰にも見えないかも知れないが、神がいる・・・と遠藤周作は伝えようとしたのではないか。吉岡はミツを棄てたつもりだが、何故か気になり、電話まで掛けて消息を知ろうとする。そして、最後にミツ(永遠の同伴者イエスと神の象徴)の最後の言葉を聞く。吉岡がその後どう生きるかは、心に痕跡を残された吉岡の判断に委ねられている。

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新約聖書:ヘブライ人への手紙の特異点

新約聖書:ヘブライ人への手紙の特異点

●ヘブライ人への手紙

「ヘブライ人への手紙」は新約聖書中もっとも文学的な書である。その理由は、本文のギリシア語の流麗さにあり、アレクサンドリアのクレメンスも絶賛していたとエウセビオスは記している。オリゲネスは(当時この書は使徒パウロの手紙とされていた)、他のパウロ書簡とはギリシア語の見事さにおいて際立った違いがあると分析している。著者は不詳であるが、おそらくパウロ書簡がまとめられたあとの80~90年頃(95年頃とする説もある)に執筆されたと考えられている。「ヘブライ人への手紙」と呼ばれるのは、テルトゥリアヌスが「デ・プディチティア」の中でそう呼んだからである。旧約聖書(七十人訳ギリシャ語聖書)からの引用が多く、パウロの2書簡からも引用している。おそらく「ローマの信徒への手紙」と「ガラテヤの信徒への手紙」の一部、「レビ記」の解説書とエルサレム神殿礼拝の手引き書が、著者の手元にあっただろう。本書は二つの異なる要素を持つ部分が、相互に組み合わされている。

神学・教義に関する部分(1:11-14、2:5-18、5:1-14、6:13-9:28、13:18-25)
倫理・道徳に関する部分(2:1-4、3:1-4:16、6:1-12、10:1-13:17)


●「ヘブライ人への手紙」の特異点

1.何故、イエスは「神から離れて」亡くなったのか?(本文批評学から)

写本の系統樹からオリジナルを探す研究(本文批評学、正文批評学)の結果、以下の事が判明している。

2:6 聖書はある箇所で、こうあかししている、「人間が何者だから、これを御心に留められるのだろうか。人の子が何者だから、これをかえりみられるのだろうか。

2:7 あなたは、しばらくの間、彼を御使たちよりも低い者となし、栄光とほまれとを冠として彼に与え、

2:8 万物をその足の下に服従させて下さった」。「万物を彼に服従させて下さった」という以上、服従しないものは、何ひとつ残されていないはずである。しかし、今もなお万物が彼に服従している事実を、わたしたちは見ていない。

2:9 ただ、「しばらくの間、御使たちよりも低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、栄光とほまれとを冠として与えられたのを見る。それは、彼が神から離れて(ほとんどの訳では神の恵みによって)、すべての人のために死を味わわれるためであった。

2章9節「神の恵み(神の恩寵)によって」の箇所は、「神から離れて」という古い写本の異文がオリジナルである事が分かっている。後代の書記者が改竄したのだが、何故改竄したか?神の子イエスが神から離れて十字架に架かった事が、教会信徒には不都合だった(つまずきとなる)、また仮現論のキリスト教(ドケチズム、グノーシスはキリストを絶対的な霊的善と捉え、このキリストがイエスの肉体に束の間降臨したが、十字架で人間イエスが死ぬと同時にその肉体から離れたとする考え、後に異端とされた)に利用される恐れがあったためと考えられている。しかし、この「神から離れて」の異文は、ヘブライ人への手紙を良く読めば、著者の神学と合致している事がわかる(内在的蓋然性)。この書簡を通して、イエスの死とその結果として与えられた既得権益としての救済に関して、恩寵と言う単語は一度も用いられた事がない。逆に神の恩寵は常に、神の徳により信徒に与えられる救済の賜物に関して用いられている。パウロは、十字架上でのイエスの犠牲を神の恩寵であると書いているが、この書簡ではその述語をそのような形では全く使っていない(著者がパウロでない証拠の一つ)。

全体を通して書簡を読めば、「神から離れて」死んだという謎のような言葉がすんなりと理解できる。この著者は、イエスの死を神の「恩寵」の顕現であると書いた事は一度もないのに対して、イエスは完全に人間として恥辱の死を迎えたのであり、彼の源郷である神から完全に疎外されていた、という事を繰り返し強調している。つまり彼の犠牲は、罪に対する完全な贖いとして受け止められている。さらに、神はイエスの受難に介入せず、その苦痛を和らげもしなかった。だからこそ、例えば5章7節では、死を前にしたイエスが激しい叫び声と涙によって神に嘆願したと述べているのだ。また12章2節では、イエスは神に支えられたからではなく、身の証を立てるために死の恥を耐え忍んだと書かれている。全体を通して、イエスは「あらゆる点において」通常の人間と同じように、苦痛と死とを体験したとする。更に重要な事は、2章9節の主要なテーマであるが、イエスが自らを天使達よりも低いものとし、その血と肉において人間の苦しみを完全に体験し、人間としての死を迎えた事を強調している。著者はここで、キリストの贖いの業に神の恩寵は関与していないと考え、その代わり、束の間の苦痛と死の領域に身を落とすキリストに焦点を当てる。イエスは全く人間として受難を体験し、神の子なら受けて当然の助力も与えられない。つまり、その死は「神から離れて」たものでなくてはならない。2章9節のオリジナルの「神から離れて」は、マルコ福音書の受難物語のように見捨てられて死んだと述べているのだ。著者の神学理論では、恥辱の死が完璧な贖いに必要となる。

イエスの死に際しての絶叫は、マルコが事実として書いたので、キリスト教指導者の間ではかなり浸透していた。その事実を、「ヘブライ人への手紙」の著者は完全な人間の死が完全な贖いと解釈した。一方マルコは、イエスの見捨てられた死を、権力者による非情な冤罪死としながら、最後で墓が空だった事を描き、神の救済を確信している。イエスの言葉には、常に逆転現象が語られている。「貧しい者は幸い」などはその典型だろう。逆説的にイエスの死は尊い、そう確信するキリスト者が多い。迫害され灯火代わりに火あぶりになったキリスト者、猛獣に食い殺されたキリスト者、彼らは逆説的に尊い。「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である(マタイ11章11)」の通りだ。ボロボロになって酷い死に様を晒そうと、神の国では洗礼者ヨハネよりも偉大、この逆説的言い方を理解しない限り、イエスの死を理解する事は難しい。どのように生きたかが重要なのだ。イエスの絶叫の死は、私たちの希望であり、救済の源、救いの象徴である。肉体の死で終わりでない事は、マルコが復活した肉体を持ったイエスを描かずに、復活者イエスを描いている事からも分かるだろう。命は、命から命へと続いている。神の国はすぐそばにある。現実にこの地上でも神の国が現れるようにと願うのはキリスト者の使命であろう。

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