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スマートではないスマホ

スマートではないスマホ

私はZenfoneGO(5.5インチSIMフリー)、妻はZenfone2laser(5インチSIMフリー)を購入、選んだ理由はコスパのみ。ゲームはしないが、地図アプリは頻繁に使う、家族との連絡はLINE、通話はIP電話(050+、Lalacall)を利用(携帯通話は滅多に使わない・・・髙いから)、メールはYahooメール(IMAP)。Youtube動画やネット検索はPCを主に使用。こんな感じで使っている。SIMはmineoとOCNモバイルONE。Androidスマートフォンの場合、OSがGoogle、端末は会社独自仕様が多く、それにアプリを追加して使うことになるので、かなり複雑な仕様となっているので、iPhoneよりもトラブルが多いようだ。私の環境で使ってみた感想を。

1.端末の設定項目が少ない。タッチパネル。

省電力の設定が少ない。深夜、スーパー節約モードに設定しても、朝になったら省電力モードにしか戻らない。これだとスリープ中はネット切断されるので、IP電話などが使えない。深夜、省電力モード設定なら大丈夫だった。

ZenfoneGOのタッチパネル感度が良すぎるのかどうか分からないが、スワイプした際に時々タップしたことになってしまう(Zenfone2laserは問題なし)。この機種はダブルタップでスリープイン、スリープ解除が出来るので便利だが、たまに何度か試みないと動作しない事がある。

2.バッテリーの持ち

ZenfoneGOは約3000mAhのバッテリーで持ちが良い。自動同期はオフ、アプリの更新も手動で行い、LINEとIP電話以外は自動起動をオフ、使わないアプリは削除か無効・・・これで毎日1時間使用で1週間は十分使える。試しにゲーム(三国志ブレイブ)を行ったら10時間でバッテリー切れ、Youtube動画も12時間程度が限度だった。1日20分程度、メールとLINE使用程度なら10日以上持つ(通常がこれが多い、iPad2なら2ケ月くらいは持つ)。Zenfone2laserはバッテリ容量が約2400mAhなので、持ちがちょっと悪い。

3.GPS感度

屋外使用では全く問題なく、GoogleMapを利用したナビも試したが良好で満足。ナビはデータ通信を使用するが、意外にデータ量は少なく済んだ(2時間で10MBちょっと)。音声案内も正確だった。自宅前に到着すると、到着しましたの音声が流れた。

しかし、室内では位置情報(GPS単独)を取得するのに、Zenfone2laserでは数分掛かった(キャッチした衛星2~4)。しかし、これはまだ良い方で、ZenfoneGOではキャッチできる衛星が0、全くオンにならない。AGPSにしても室内では、場所が100km離れた場所(時には東京丸の内)が示され、数分後にようやく近くが表示される(近くのwifi、携帯無線局の電波から計算されるみたいだ)。端末にアンテナ線が入っていると思うが、接触が悪いのか?ネットで調べると、銅箔テープ(62x3mm)を裏蓋の内部に貼るとOKとか・・・で、試してみたらばっちり。室内でもキャッチできる衛星の数が7~12になり、10~30秒で誤差10m以内で表示されるようになった。

4.GooglePlay開発者サービスでエラー

最近のアップデートで、GooglePlay開発者サービスなどGoogle関連でエラー頻発。いきなり再起動したり・・・設定→セキュリティ→Googleデバイスマネージャーを無効にして、データとキャッシュを削除し、前のバージョンに戻し、再度アップデートしてGoogleデバイスマネージャーを有効にし、再起動して様子を見たら、問題なさそう。バッテリーの減りは多少多くなったが。他にエラーが数回出たのがLINE。一応許容範囲内だったが。

5.IP電話

(1)LalaCall

私の環境では音質も良好で遅延も少ない。ただLINEを競合するのだろうか?3回ほど全く使用不能になった。再起動で治ったが、最近全く使えなくなり、削除して再インストールしたら元に戻った。自動起動設定にしていてもプッシュ通知が効かなかった事もあった。取りあえず、もう一台からコールだけして、スリープ中でも着信できるのを毎週確認している。

(2)050+

OCNの050+を妻の端末にインストールして使っている(固定電話へはこれが安いので)。音質も良好で遅延も少ない。こちらも最近使えなくなり、再インストール。今のところは使えている。万全とは言いがたい。

(3)LINE電話、LINEOUT電話

私が自宅、妻が遠くに外出中に使ったが、多少音質は悪いが、また遅延も少しあるが、問題なく使えている。一度フリーズして電源オフも出来ない事があった。娘に通話すると音が途切れる、聞き辛い・・・使うなと言われた。おそらく端末によりけりなのだろう。LINE電話は無料なので頻用するが。LINEOUT電話は私の環境ではあまり問題なかった。ドコモ携帯に番号通知されない欠点がある。

以上、IP電話がダメなら携帯電話でとなる。

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70歳近くでスマホを持つ(その2)

通信事業者の選択

(選択肢1)大手キャリア(NTTドコモ、au、ソフトバンク)

店舗で手続きすれば、ほとんどの場合その日に完了して使える状態になる。サポートのそこそこで、保証込みにすればキャリア版ハイスペック端末で安心して使えるだろう。知識が無くても、使える状態で入手できて、通信速度も契約の範囲内ならかなりの高速となっている。スマートフォンに詳しくない場合は、この選択肢が良い。通話が多い人はかけ放題で契約しておけば一定金額で済む。欠点は月額費用が高い。金額を気にしない人なら、キャリアが一番。

(選択肢2)MVNOの格安通信事業者(200社を超えている)

この選択肢は、SIMフリー端末の知識が要求される。データー通信のAPN設定を自分で行わなければならないことが多い。端末自体がSIMフリーなので、MVNOに特化されていない。Androidスマートフォンの場合、端末製造会社の違いで設定&操作性が異なる事が多く、またGoogleのAndroidOSのバージョンで微妙に機能が異なる。

(1)通話もネットも安く使いたい

デュアルSIM契約となる(通話SIM)。データ通信(高速通信量に応じて価格が異なる、無制限プランもあるが直近制限がある場合がほとんど)+通話(SMSを含む)の構成だが、各社で価格が異なる。通話はかけ放題プランがある場合がある。問題はデータ通信の高速の速度だが、高速とは言いがたい場合がほとんど。動画再生が止まってしまうケースも多い(使っている地域、時間帯で大きく異なる)。快適さを求めるなら選択肢1しかないかも。

(2)あまり通話は使わないのでIP電話、ネットも安く使いたい

自分で端末と通信事業者選択、設定を行わなければならない。SMS+データ通信の構成。通話は安価なIP電話(インターネット回線利用、電話回線を使わないので安定しない場合がある)で済ませて、主にネットを使うケース。SMSは認証に必要な場合があり、またアンテナピクトの問題もあるからオプションで付加した方が良いと言われる。データ通信の高速の速度だが、高速とは言いがたい場合がほとんど。動画再生が止まってしまうケースも多い(使っている地域、時間帯で大きく異なる)。快適さを求めるなら選択肢1しかないかも。

(3)通話は不要、データ通信のみ

モバイルルーターで使っている人が多い。この場合、使い放題プランがメイン。用途が動画やゲームがメインなので、データ容量(パケット)を大量に消費する。これが原因で、無線局の帯域を圧迫するために、直近制限を設けている会社がほとんど(使い放題は死語に等しい)。MVNOの問題点はここに集約されると思う。高速通信も死語に等しい状況かもしれない。現状では制限をかけるのは当然で、小容量しか使わないユーザーは迷惑を蒙る。

●不具合の無いスマートフォンは皆無

iPhoneの場合は、アップル社が設計・デザイン・システム・初期アプリを一貫して行っているので、Androidスマートフォンと比較して不具合は少ない。AndroidがGoogleが基本OSを開発して、スマートフォン製作各社がそれを利用して独自の初期アプリを作成して端末を制作しているので、ダブルで不具合が発生する事がある。端末固有の不具合も多く、後からインストールしたアプリとの競合もあり、特定するのが難しい場合がある。ユーザーが初期不良でメーカーに送り返された70%は不具合が無かったと報告されているように、ユーザーの設定やインストールしたアプリの使用が原因のケースもあるようだ。それなりに知識が無いと、Androidスマートフォンを使うのはやっかいかもしれない。

(次回に続く)

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70歳近くでスマホを持つ

70歳近くまで携帯電話なしで生きてきたが、さすがに外出先で公衆電話もなくなり、持たざるを得なくなった。SIMなしのiPad2(4年以上使用)は持っているが、外に出ればネットは使えないし・・・。とうとうスマホを使うことになった。1ヶ月くらいネットで詳しく調べてから端末を買い、SIMカードを契約した。選択肢が多く、とても悩ましかったが。

1.携帯電話・スマートフォンの通信形態

3Gや4G通信の「G」は「Generation(世代)」の頭文字で、時代を経る毎に通信方式が進化している。

(1)最初の携帯電話はアナログ電波利用をした第1世代だった。

(2)2Gはデジタル化してパケット通信とし、電波効率を向上させた第2世代の規格(NTTドコモのMova)。

(3)3Gは高速通信はマルチメディア機器通信として進化させた第3世代の規格(NTTドコモのFOMA)。当初速度は下り最大384Kbpsだったが、HSPA技術で下り最大42Mbpsまで高速化され、この改良版3Gは3.5Gとも呼ばれる。現在、国内で発売されている携帯電話はNTTドコモ・ソフトバンクモバイル・イーモバイル等が採用している「W-CDMA方式」と、KDDIが採用している「CDMA2000方式」のいずれかの通信方式に対応している(KDDIの通信方式が異なるので、今のところSIMフリー端末の多くは対応していない)。

(4)4Gは次世代超高速通信で、LTE-AdvancedとWiMAX2がある。一般にLTEを使った通信サービスを4Gと称されるが、これは2010年12月にジュネーブ会議で「LTEなども4Gと呼称しても良い」とされたためで、厳密には4Gではなく高規格3G(通称3.9G)。LTEは3Gを長期的に進化させる「Long Term Evolution」の略で、4Gの環境が整うまでの間、低遅延・高速通信・髙効率の電波利用が可能となっている。現在、NTTドコモの「Xi(クロッシィ)」、KDDIの「4G LTE」、ソフトバンクの「SoftBank 4G LTE」がLTE規格となっている(Androidス向けのSoftBank4Gもある)。

(追記)プラチナバンド:電波は周波数の低い方が建物の裏に回りこみやすく、山の影にあたる場所にも届きやすい。昔から800MHz帯を利用していたNTTドコモとKDDIと異なり、1.5GHz帯と2GHz帯の高い周波数しか持っていなかったソフトバンクが、携帯電話で利用するのに800MHz帯や900Mz帯が適している事から「プラチナ(貴重な)バンド」と呼び、ソフトバンクも2012年7月から900MHz帯の認可を受けた。

(5)VoLTE(Voice over LTE、 Voice over Long Term Evolution、ボイス・オーバー・ロング・ターム・エボリューション)は、携帯電話に利用されるデータ通信技術、及び通信技術規格で、LTE網は高速なデータ転送が可能であるが、音声通話のための専用回線を想定していない。音声およびビデオ通信をLTEでパケットとして取り扱えるようにし、LTE網で音声通話およびビデオ通信を実現するための技術。IP電話では遅延が発生しやすいが、VoLTEでは遅延が抑えられ、従来の第3世代移動通信システムを上回る通話品質が得られると期待されている。

2.スマートフォン、iPhoneかAndroidか?

古い携帯電話は電話機能が主流でボタンが付いていたが(ガラケーを称される)、アップルがボタンがないiphoneを出して以降、この方式のスマートフォンが普及していった。現在大きく言って2種類、iPhoneとそれ以外に分類される。それ以外のほとんどがAndroidスマートフォンで、WindowsPhoneなどはマイナーである。スマートフォンは携帯PCと言っても良く、構成要素も類似している。システムOSは、iPhoneがアップルのiOS、AndroidスマートフォンがGoogleのAndroidOS。アップルは一貫して作り上げているので、不具合が少ない利点があり、高性能である(欠点は価格が異常に高い)。端末に自分でアプリを追加する場合も基本的には、iPhone(iPad、iPod)がAppleStore、AndroidスマートフォンがGooglePlayだけとなっている。

AndroidOSは現在android6(Marshmallow)まで進化しているが、バージョンによってはアプリが使えない事が多い。iOSは古い端末以外なら最新バージョンにアップデートできるが、Androidスマートフォンはアップデート出来ない端末が多い。こうした点では、アップル1社で作り出しているiPhoneに分がある。

iPhoneアプリの開発には Xcode(無料)を利用し(App Storeから無料でダウンロード)。プログラミング言語「Swift」もしくは「Objective-C」を使用する。Androidのアプリ開発のベースとなっているのはJava言語で、開発環境は最近では軽くて安定しているAndroid Studioが使われている事が多いようだ。

iPhoneかAndroidか?は使う人の用途で決まる。高性能を求め、価格を気にしない、電話かけ放題を希望するならキャリア(ドコモ、au、ソフトバンク)でハイエンド端末と一緒に申し込むのがベストだろう(端末保証付き)。2年縛りがあるが、端末自体2年ちょっとしか持たない気がする。動画をほとんど見ない、電話もあまり掛けない、ゲームもしないなら、Android系格安SIMフリー端末+格安MVNO利用となるが、このへんの選択肢は非常に多くなっている。

3.SIMフリー化

総務省は2015年10月31日、「SIMロック解除に関するガイドライン」の改正案を発表した。それまではSIMロックと言って、日本のドコモ・au・ソフトバンクで販売されている全てのスマートフォンは、そのキャリアでしか使えない「SIMロック」というものがかかっていた(海外では稀なケースだが)。他のキャリアが使えないようにSIMロックをかける理由は、基本的に2年契約等長期間契約を約束することで端末を安く販売しているため、他のキャリアに移行されてしまうと損失が出てしまうためだ。基本的にSIMロックがかかっているスマートフォンは、他のSIMを挿しても使えないようになっていた。これらの制限を外し、他のキャリアのSIMでも使えるようにするのがSIMロック解除で、SIMアンロック・SIMフリー化とも言う(半年間の縛りがあるケースが多いが)。また端末自体もSIMフリー版が売り出されたので、それに対応した事業者SIMカードを挿せば直ぐに使えるようになる。これにより、自分で好きな端末を購入し、別途SIMカードは自分で選んだMVNOからというパターンが増えてきた。選択の仕方で価格は幅広い選択肢となる。

4.MVNOの普及

MNO:移動体通信事業者(Mobile Network Operator)は、携帯電話やPHS等の物理的移動体回線網を自社で保有し、直接自社ブランで通信サービスを提供する事業者。

MVNO:仮想移動体通信事業者(Mobile Virtual Network Operator)は、キャリア(MNO)の無線通信インフラだけを借り、無線局(基地局)を自ら開設しておらず、かつ運用をしていない事業者を指す。現在、NTTドコモとau系があるが、ドコモの3G通信「FOMA」とLTE通信「Xi(クロッシィ)」の通信網を利用したモバイルインターネット接続サービスが主流。ユーザーは、これらの通信規格に対応したNTTドコモのモバイルSIMフリー端末(スマートフォン、タブレット、モバイルルーターなど)として国内販売されているモバイル端末でMVNOによるサービスが利用できる。

5.選択肢が多すぎて・・・迷いの森

多くの企業が格安SIM(MVNO)業界に参入してきたので、格安SIMも価格競争が激しい。データ通信量をアップしたり、料金の値下げを発表しているが、高速通信でも速度が遅くなっている現状がある。各社料金やプランが全く違うので、選択肢が多く、実際にどの程度の速度が出るのか不明な点が多く、使い放題と言っても制限が加えられていたり、どれを選べば良いかは悩ましい問題となっていて、用途により自分で調べて選ぶしかない。

6.私の場合

私の場合は、WEBや動画は自宅のデスクトップPCかiPadでしかみないし、電話もあまり使わないので、端末はコストパフォーマンスが良い「「Asus zenfone GO」、SIMはMVNOで比較的人気の高いmineo(関西電力系)のドコモタイプの「データ通信+SMS」にして、通話はmineoユーザーなら月額基本料無料で使えるIP電話アプリ(LalaCall)を使っている(固定電話へ8円/3分、携帯へ18円/1分)。今のところ、北海道の山に近い田舎でも特に問題はなく、通話もスムースなので、1年間は使ってみるつもり。

mineoの場合、アマゾンなどでエントリーパッケージを格安で売っている(これで申し込むと3240円の事務手数料が掛からない)。ついでに下の紹介URLから申し込むと、3ケ月後に紹介者と申込者の両者にアマゾンギフト券1000円が貰えるキャンペーンを行っている。私のスマホ使用経験は後の頁で書くことにする。

mineo紹介による申し込みURL
http://mineo.jp/syokai/?jrp=syokai&kyb=T5B5C5Y6F0


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航空機と乱気流

乱気流は空気中に渦が生じて乱れた気流だが、一番経験しやすいのは航空機に乗った場合だろう。私は2回、激しい乱気流を経験した。

1.新婚旅行からの帰路

43年前、新婚旅行で福岡から南九州に行って(ジェット機)の帰路、宮崎空港から福岡空港まではプロペラ機だった。わずか30分ちょっとの飛行時間だったが、20分間以上が乱気流の中を、大きく揺れると言うより激しい下降と上昇の連続であった。上昇するのはそれほど気にならないが、いきなり百メートル近い下降は・・・それでなくとも高所恐怖症で飛行機嫌いなのに、この乱気流では拷問だ。右隣を見ると、ビジネスマン風の男性が新聞を読んでいた。この状況でも平気なんだと尊敬したが、しばらく観察していると、手に持った新聞がガタガタ震えている。機体の振動で震えているわけではない。やはり怖いのだ。左隣の妻は笑っている。緊張すると、何故か顔が笑った状態になるらしいが、他の人から見たら不謹慎だろう。時々「あっ」「いっ」「うっ」「えっ」「おっ」ア行五段活用の末尾だけになり、急降下すると私の左腕を万力以上の力で掴む・・・後で見ると痣になっていた。掴むなら座席だけにして欲しいが、シャイな私には言えなかった。妻は「これ墜落するの?翼がパタパタ動いてる」と聞くので、「落ちるときは落ちる、落ちないときは落ちない。でも私にはその判断能力はない。死ぬときは一緒だから良かと(博多弁)」と答えた。すると「死ぬなら、一人で死んでね」と明快な答えが戻ってきた。なかなか奥が深い。二人同時に亡くなったら葬儀が出来ないし、後の面倒な処理も出来ない。無事に福岡に到着して、それを聞いたら・・・単純に独りで死ねと言った、でも冗談だけどと言う。あの状況で冗談は言えまいと思ったが、それを口にする事は小心者の私には出来なかった。

2.帯広から東京までYS11で乱気流

40数年前、ある講習会に出席するために旧帯広空港から東京に向かった。天候は最悪で、北日本は嵐のような天気だ。空港カウンターに到着すると、体重計に乗れと仰る。預ける荷物なら判るが、乗客の体重まで量るとは・・・肥満は搭乗出来ないのか?いやいや、そうではない。機体のバランスを考えて、左右の重さを均等にするためらしく、そこで始めて座席を決めるのだ。お陰で少し肥満気味なのが判ったが、とても恥ずかしい、後方の人から丸見えなのだから。ようやく搭乗時間となり、バスで飛行機のタラップへ、機体はプロペラ機だが日本が誇るYS11。外は雨が降り出していて、天候が悪そうだ。離陸して高度が上がると、黒い雲が見える。アナウンスで、天候が悪く途中気流が悪いので、シートベルトは締めたままにと。それから・・・羽田に到着するちょっと前まで、2時間程度の乱気流中の飛行であった。急降下・急上昇の連続で、客室乗務員も座ったまま、機内サービスも出来ず、吐く人もいた(私も)。急降下だと無重力の近く、急上昇だと体重が倍以上のようなGが掛かる。前述の1の比ではなかった。悲鳴が聞こえたりして、落ちるのかと思うほどだったが、それでも他に何事もなく無事に羽田に到着、頑丈な飛行機だ。飛行機を降りてバスでターミナルまで移動中、誰もが放心状態で、私はその日はホテルで寝込んでしまった。あれくらいでも、操縦士にすればちょっと揺れた程度なんだろうか?帰宅して妻に話したら、「2時間もジェットコースターに乗れたのだから、良かったね」と言われた。私のジェットコースター嫌いは知っている筈だが・・・人生で2回もジェットコースターに乗った事があるが、死にそうで漏らしてしまった経験がある。

3.ダウンバースト、後方乱気流、晴天乱気流

ダウンバースト:空港進入経路上で積乱雲が発生するとダウンバーストと呼ばれる強い下降気流が発生することがある。下降気流が発生し着陸航空機が巻き込まれると滑走路に機体がたたきつけられる形となり着陸失敗という大事故につながる。

後方乱気流:大型の航空機の離陸時、主に翼端渦が元で後方に生じる空気の乱れ。2001年にニューヨークで発生したアメリカン航空587便墜落事故では、直前に離陸した日本航空機の後方乱気流に巻き込まれたのも一因とされている。

晴天乱気流:雲がない晴天でも起こり、エアポケットと呼ばれる。高高度のジェット気流の周辺で頻繁に発生し、山脈の近辺で発生し、肉眼でもレーダーでも見つけられない。航空機には危険な存在で、風速や風向が急激に変化し、翼で生じる揚力が急速かつ予測不可能に変化し、激しい揺れが起きてしまい、乗客や客室乗務員が体を投げ出されて負傷する事もある(1997年ユナイテッド航空826便乱高下事故のように死亡事故に至る事も)。しかし、レーザーのような光学的に乱流を測定する装置を使えば遠くから検知可能だが、まだ全面実用化に至っていないようだ。

乱気流により14人が負傷して成田空港に緊急着陸したアメリカン航空の機内の様子



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芥川龍之介の小説「おぎん」、殉教の論理の矛盾

●芥川龍之介の小説「おぎん」

芥川龍之介が大正11年(1922年)中央公論に発表した小説。ジャンル・切支丹物(キリスト教)の一作品で、江戸時代初期のキリシタン弾圧における、キリスト教的観念と日本人的心情、キリスト教的死生観と日本人的死生観、宗教と家族制度との衝突を描いている。享年36歳で自殺していて、葬儀宗教や戒名などからキリスト教徒ではなかったと思われる。しかし、「切支丹物」と言われる「侏儒の言葉」「西方の人」「煙草と悪魔」「尾形了斉覚え書き」「さまよへる猶太人」「るしへる」「奉教人の死」「邪宗門」「きりしとほろ上人伝」「じゅりあの・吉助」「黒衣聖母」「南京の基督」「神神の微笑」「報恩記」「おぎん」「おしの」「糸女覚え書」「続西方の人」などの膨大な作品を残している。関心や興味があったのは事実だ。父親は若くしてキリスト教に改宗したが、芥川は母の実家で育てられたため信者ではなかった。でも、悩み多き芥川によって「救い」は大きな関心であり続け、死ぬ直前まで聖書を読んでいた。

(小説おぎん/あらすじ)

江戸時代初期の元和か寛永の頃、キリスト教禁教令と共にキリシタン弾圧は苛烈となった。隠れキリシタンは、見つかると信仰を確認され、棄教しない場合は火刑に処せられた。その頃、長崎郊外の浦上の山里村に、おぎんという少女がいた。元々両親と共に大阪で暮らしていたが、流浪の末に長崎に至り、両親は亡くなり孤児となった。山里村の農夫で隠れキリシタンの「じょあん孫七」は、おぎんを哀れと思い、「まりあ」の名で洗礼(ぱぷちずも)を授けて養女とした。孫七の妻「じょあんなおすみ」もキリシタンで、三人は隠れキリスタンとして幸福な生活を営んでいた。何年か後のクリスマス(なたら)の夜、ひっそりと暮らす孫七達も、この日は壁に十字架を掲げ、牛小屋にイエス(ぜすす)誕生を記念した飼い葉桶に水を張っていた。しかし、それが役人に知れて隠れキリシタンとして捕えられた。投獄されて拷問を受けても、天国(はらいそ)の門を潜るまではと、三人は辛抱して耐え抜くのだった。

代官は、三人が強情を張る理由が理解できない。事によれば三人は血の通わない人外のものかもしれない。困り果てた代官だが、法を犯す者は罰せなければならず、ついに火炙りの刑に処す。三人は刑場に連行され柱に縛り付けられた。根元には薪が山のように積み上げられている。周囲には大勢の見物人が集まり、一切の準備の終った時、役人の一人が三人の前へ進みより、天主の教を捨てるかどうかしばらく猶予を与えるから再考するように、もし教を捨てると云えば直にも赦してやると云った。しかし彼等は答えない。遠い空を見守ったまま、口もとには微笑さえ浮かべている。するとその時、おぎんが明瞭な言葉で「私は御教を捨てる事に致しました」と叫ぶ。縛られた孫七は驚愕し、「悪魔に魅入られたのか、もう少しで天主の顔も拝めるのだぞ」とおぎんを責める。おすみも、「おぎん!おぎん!お前には悪魔がついたのだよ。祈っておくれ」と声をかけるが、おぎんは返事をしない。ただ眼は墓原の松を眺めている。役人はおぎんを赦すように命じた。孫七はそれを見て、あきらめたように「万事にかない給うおん主、おん計らいに任せる」と目を閉じた。

解放されたおぎんは茫然と佇むが、孫七やおすみを見るとその前へ跪き、「お父様、お母様、勘忍して下さいまし」と涙する。「おん教を捨てました。その訳は、あの墓原に眠る両親は、天主のおん教も知らず、きっと今頃は地獄(いんヘるの)に堕ちているでしょう。私だけ天国に入るのでは申し訳がありません。地獄へ両親の跡を追って参ります。お父様やお母様は、イエス様やまりや様の御側へお出でなって」と啜り泣く。すると、おすみも涙を落し出した。孫七は「お前も悪魔に見入られたか?天主のおん教を捨てたければ、勝手にお前だけ捨てろ。俺は一人でも焼け死んで見せる」と言うが、妻は「いえ、私もお供をします。けれどもそれは…天国へ参りたいからではございません。ただ貴方の、貴方のお供を致すのです」と答える。孫七は長い間黙っていた。その顔は蒼ざめたり、また血の色を張らせたり、汗が顔にたまる。孫七の心眼は、彼の霊魂を奪い合う天使と悪魔とを見ていた。しかし、おぎんの涙に溢れた眼は、不思議な光を宿しながら彼を見守る。眼の奥に閃いているのは、無邪気な童女の心ばかりではなく、あらゆる人間の心である。おぎんは孫七に「お父様!地獄へ参りましょう。お母様も私もあちらのお父様やお母様も、悪魔にさらわれましょう」と。孫七はついに堕落した。

この話は、我国に多かった奉教人(キリスタン)受難の中でも、最も恥ずべき躓きとして後代に伝えられた物語。三人が教を捨てるとなった時、天主の何たるかをわきまえない見物人さえ、ことごとく彼等を憎んだと言う。折角の火炙りを見そこなった遺恨だったかも知れない。更に伝える所によれば、悪魔はその時大歓喜のあまり、大きい書物に化けて刑場で飛んでいたと言う。悪魔の成功だったかどうか、作者は甚だ懐疑的である。

(書評)

1.殉教とは

おぎんが語った棄教の理由は、意外なものと思われるかも知れないが、日本的心情としては十分納得できる。この小説は、日本の風土・心情とキリスト教原理主義との矛盾・衝突を主題としていて、特に家族の絆との相剋が描かれている。この矛盾する両者の本質的な問題は何なのか。その前に殉教の構造を考えてみる。

殉教は自らの信仰の為に命を失う死を指す。キリスト教の歴史で良く用いられるが、他の宗教にも見られ、宗教的迫害において命を奪われた場合や、棄教を強制されて応じないで死を選ぶ場合など、様々な形の殉教がある。正教会では殉教の語を用いず致命・致命者と言う。キリスト教の殉教(Martyria)は、「証人」という言葉に由来する。殉教と認定されるのは、その死がその人の信仰を証している事と、人々の信仰を呼び起こすかどうかが基準とされる。最初期の殉教者は、新約聖書・使徒言行録に登場するステファノである。十二使徒はすべて殉教したとされるが、史実の裏づけがなく伝説の域を出ない。教会は、殉教者を神と人間を仲介できる存在、聖人と位置づけて祈りの対象とした。聖人の遺体も信仰の対象となり、病気治しなどの奇跡を起こす力があると考えられ、高額で取引される事もあった。ヨーロッパにキリスト教が根付くと、聖人と聖遺物に対する各地域の要望が増え、過去の殉教が伝説化し誇大に伝えられた。

キリスト教宣教者は異文化と接触し、破壊を伴う正面衝突を引き起こし殉教が増えた。イエズス会等が非キリスト教地域に宣教に乗り出し、その後多くの宗派が世界中に宣教者を送り出すと、各地で殉教が生じる。殉教を作るのは殺す側であり、殺される側ではない。大規模な殉教は、キリスト教を排除する権力者の政策であった。日本では、個々の教義や態度が問題にされたのではなく、キリシタンである事自体が問題視された。逮捕された者もキリスト教を棄教すれば許された。しかし棄教を拒んだキリシタンは国外追放か死刑に処され、しばしば拷問の末に残酷に殺され、16世紀末から17世紀初めイエズス会士など外国人宣教師と日本人信者が殉教し、豊臣政権における二十六聖人が良く知られている。その背景には、一向一揆との戦いを経験した統治者が信徒団体による反乱を警戒した事、外国人が日本人を奴隷として売買していた事、宣教師が植民地化の尖兵となっていた事にある。この時代のキリシタンは、殉教でパライソ(天国)へ行き永遠の命を得られるという原理主義的教えを固く信じさせられていたため、彼らの多くは拷問や処刑を恐れず、嬉々として死の運命を受け入れたと伝えられる。日本におけるキリスト教徒迫害は、欧米諸国の圧力で明治時代初期に法的には廃止された。

2.殉教の背景、犠牲の交換論理

宗教には、「自我」を「無」にして「聖なるもの(神、仏)」に帰一するものだという自己犠牲の論理がある。西洋では、旧約聖書創世記のアブラハムによるイサク奉献物語が、大きな精神的規範の役割を果たしてきた。キリスト教の「殉教」思想は、国家が国民の犠牲を正当化する事に利用され、近代国家になっても、そのナショナリズムの背景にはいつも世俗化された宗教・キリスト教の「犠牲」の論理が存在する。キリシタン禁制時代に「殉教」したキリシスタンは、その後カトリック教会によって「列福」されたが、殉教者を信仰の模範として顕彰する儀礼は、祖国のために死んだ戦死者を自己犠牲の模範と顕彰する国家儀礼と同じ類型である。「神のために死ぬ」と言う殉教の観念はユダヤ教から発展したもので、マカバイ戦争で律法を守り犠牲で死ぬ者がいて、それが模範となって続く者を鼓舞する「犠牲の論理」となり、また殉教者の母が名誉を受けるのも「靖国の母」に類似している。

本来、犠牲の論理とは無縁で「生」そのものの根源的肯定を意味していたナザレのイエスの信仰は、イエスの死後にパウロ等により十字架上の刑死を「犠牲死」として、人類の原罪(神への負い目、神への負債)」を帳消しにする「贖い(償い)」と解するキリスト教へと変質した。ニーチェ「道徳の系譜」では、罪と罰を中心とする道徳観念は、「負い目」とその「帳消し」という債権・債務の経済論に支配されていると指摘した。要するに一言で言えば、「犠牲の交換論理」である。命を何かと交換する事となる。イエス死後のキリスト教の論理は、神の分身であるキリストの犠牲=神への負債の帳消し、となり破綻した論理であるが、これが国家の存続に便利な論理として2000年間受継がれてきた。内村鑑三も日本の武士道精神と殉死を尊び、「十字架」理解では、罪の賠償として死刑を要求する交換経済の論理を核としているので、典型的な犠牲の論理であり、批判されるべきだろう。ニーチェがナザレのイエスに見た「根源的キリスト教」は、罪からの解放のために如何なる犠牲(償い、贖い)をも要求しない、善悪の彼岸の生の根源的肯定の「犠牲の論理なき宗教」であると考えられる。(参照:宗教における犠牲の論理と倫理に関する哲学的研究、東京大学・大学院総合文化研究科・高橋哲哉教授)

3.イエスの死生観、生きる事への肯定

イエスは、すべてにおいて抽象的観念的な形で教えはせず、聴衆である紀元1世紀のユダヤ民衆や、付き従う者達の現実を念頭に置き、譬え話を用いたり対話の中で、具体的に自身の考えを述べている。死生観や復活に対しても体系的に論じる事は全くなく、相手の必要に応じ、その都度核心を衝いた鋭い洞察による言葉を駆使する手法を採っている。イエスは生について、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか(マルコ8:36-37)」と、命を失ったら何の得にもならない、今生きているこの命を大切にする、現実の生に対して大変ポジティブである。一方、死後の世界に関する発言はほとんどなく、死後に対する執着がない。イエスの死者の復活の観念については、復活問答でのサドカイ派の指導者達との論争に表れている(マルコ12:18-27)。歴史家ヨセフスがユダヤ古代誌でも述べているが、サドカイ派は復活を認めない立場だった(ファリサイ派は復活を認める)。彼らは、女性が生前に夫を亡くし場合、律法のレビラート婚に従ってその弟と結婚する事を繰返し、結局7人の男性と婚姻関係を持った場合、もし終末に死者の復活が起こるとすれば、その女性は一体誰の妻となるのかと問いかけた。これは、死者の復活を認めた場合、こうした不合理な事が起こりえる事を示し、復活観念に内包される矛盾を突く質問であり、イエスを陥れようとする質問だった。そこでイエスは、「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではないか。彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない…神がモーセに仰せられた言葉を読んだことがないのか。わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であるとあるではないか」と言う。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」という古い伝承の定型句で、神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神であるとして復活を認めているが、イエスにしては珍しく具体的にどんな状態なのかは全く言わない。

天使というのは誰も姿を見た事がない訳で、目に見えない霊的存在(命)として神の支配領域に戻るという意味で言ったのであろうか。福音とは神の国の到来であり、地上に神の支配が及ぶと言うのがイエスの考えであり、上記のように亡くなった者も命(霊)は神の支配領域に入るのだから、生きている者の神であると言い得たのだろう。亡くなった者は目には見えないが、無ではないと言う考えだと思われる。それ以上は、人間には(人の子・イエス自身も)判らないのだから、死後に関する事だけは抽象的表現(神に任せておけば良い)にならざるを得ないというのも、もっともである。つまり、イエスは徹頭徹尾、今、体を持って生きている者に「現世の生きている命」というものの価値を説き続けていたとも言えるだろう。最後の晩餐の後、イエスはオリーブ山の園ゲツセマネにペトロとヤコブとヨハネの3人の弟子だけを連れて行き、彼らに自身の死の恐怖を語る、「私は悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい(マルコ14:34)」。誰にでもある死を前にした恐れと苦しみを率直に吐露し、弟子達に同伴を求めたが、弟子達はだらしなく眠って同伴者の務めを果たさず、イエスは一人で神に対して祈り続けたとある。結局イエスは最終的に運命を受け入れた。イエスは逮捕され、十字架刑に処せられるが、最後に「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」とアラム語で叫ぶ(マルコ12:33-34)。これは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」の意味だ。マルコは、イエスの受難を旧約の詩編やイザヤ書の「苦難の僕」のイメージで描いている。神の国の宣教のために生涯を捧げた者が、ローマの反逆者としての極刑である十字架刑で苦しみながら死んでいく有様は、神は一体何をしているのかという問いを生みだす。イエスはまさに神から見捨てられた状態で世を去ったとマルコ福音書は強調している。実に現実に即したリアルな描写である。歴史上、神がスーパーマンのように悪をなぎ倒した例はない。メルヘンチックに虚構を描いて、美談に仕立て上げるのは宜しくない。

4.おぎんは、棄教して殉教しない真の信仰者の姿かも

おぎんは、死んだ両親だけ地獄に行かせて、自分だけ天国に行く訳にはいかないと思った。実際は、死んだらどうなるかなど、生きている人間には判らない。天国と地獄があるかも判らない。神が直接啓示したのではない事は聖書を読めば判る事で、一部の人間が啓示を受けたと思い込んで考え出した論理に過ぎない。聖書には死生観はたくさんあり、それぞれが異なっている。そうであるのに、地獄に堕ちると嘆いたり、天国に行けると喜んだり、右往左往しているのは滑稽である。おぎんは両親が地獄へ堕ちたと思い込んでいるが、両親と共に地獄に堕ちる等と証明出来るものは何もない。おぎんは家族の絆、人の絆を重視した。人間として生きている限り、自分の力ではどうしようもない事がある、その最たるものが死である。自分の力を越えた超越的存在があると考えざるを得ない。しかし、それは人知を超えているので、どんな存在なのかはほとんど判らない。すると、生きている人間がとるべき態度は、人間の力を越えた存在がある事を認めた上で、死なざるを得ない人間は、今生きているこの命を大切にして、家族の絆、人との絆を保って現実の生を生き抜く事に尽きる(イエスのポジティブ思考そのもの)。そうなると、信仰と家族の絆は何も矛盾しない。この当たり前の事実に気付く事が出来れば、殉教は起こらないだろう。おぎんに自覚はなくとも、薄々この事に気が付いていたのかもしれない。おすみもそうだ。そもそも信仰と家族の絆が矛盾するなら、とっくに離婚している。信仰しながら夫婦で暮らしていた事実は、両者が矛盾しない証拠であろう。では、何故棄教したと思われたのか?おすみは「天国へ行きたいと思わない。ただ貴方のお供をしたい」と言った。天国があるかないかは誰にも判らない。判るのは夫婦の絆だ。夫婦の絆を重んじて共に死のうと思っている、信仰と絆が矛盾しない。孫七も、おぎんの眼の奥を見て、人間の本当の心を見たので棄教したのだろう。おぎんの棄教は、死の寸前の三人の命を救った。一人の命さえ救うのは困難なのに。これを堕落などと言うのは、「作者は甚だ懐疑的である」の文章からも、芥川自身も納得していない。
5.「マルガリータ、村木嵐著、2010年文藝春秋」

(あらすじ)天正10年(1582年)切支丹大名の大村純忠・大友義鎮・有馬晴信の支援とヴァリニャーニの勧めと引率で、千々石ミゲル(有馬晴信の従弟、大村純忠の甥13歳)と伊東マンショ(大友宗麟の妹の孫13歳)が正使、中浦ジュリアン(14歳)と原マルチノ(11歳)が副使としてローマに派遣され、教皇グレゴリオ13世に謁見し、8年後に帰国した。直後、秀吉に呼ばれてからミゲルは手足が不自由となり、大村藩のためにも耶蘇会を抜けて棄教し、清左衛門の名の侍に戻る。妻・珠はミゲルの幼馴染で、側に居たくてキリスト教にも入信したが、難しい宗教や政治の話は分からなかったが、ミゲルの行動にはすべて従い、ミゲルが棄教すれば自分も躊躇なく棄教した。かつての仲間は真意や苦しみを理解してくれるが、珠には分からない。マンショ、マルチノ、ジュリアンの3人は1608年40歳前後で司祭になったが、マンショは早々に死去、マルチノも1614年高山右近の他・司祭・修道士・信者350名と共にマカオに追放された。小倉城下で捕まったジュリアンは、1年余り棄教を迫る拷問を受ける。その際、代官が顔を検めに清左衛門を呼び出した。清左衛門は顔が違うと助けようとするが失敗、次に自分の心はキリシタンなので、ジュリアンと共に仕置きしてと必死で訴える。驚いた珠は、清左衛門の妻でもう長らく小倉で一緒に暮らし、キリシタンではない事は周辺の人に聞けば分かると興奮して騒ぎ立てた。代官もその情報は得ていたので清左衛門の訴えを信用しない。それからと言うもの、静左衛門は空ろになり食事も水も取らずに弱っていった。珠が少しでも口に入れるよう懇願しても、その瞳には何も映らないようで何も語らない。最期に伊那姫が来た時だけ眼を動かし、かすかに微笑むとその名を呼び、最後に「まるがりいた」と呟き息を引き取った。半年後、ジュリアンは穴吊るしの責めを受ける事となり、長崎奉行の計らいで珠と会う。

珠らしからぬ皮肉な口調で「珠にはミゲル様しかいなかったのに、ミゲル様は最後まで私一人除け者にして、ジュリアン様と一緒に殉教を望んだり、伊那姫様に「まるがりいた」と呼びかけて死んだ。ジュリアン様も居もしない天主など捨てて、私の大嫌いな伊那姫様も、キリシタン信徒の事も皆忘れてしまうと良いのです!」と言い放つ。ジュリアンは珠に優しく思い違いを諭す「珠がいつも側に居たからこそ、ミゲルはもちろん我々も頑張って来れた。天主様の話をよく聞く賢いマリアと、話はよく分からないが一生懸命皆のために働くマルタの話を知っているね。この日本にはマリアよりマルタが必要なのだ。ミゲルはいつも珠をマルタのようだ、なにより尊いと褒めていた。だから、ミゲルは珠に救われながら立派に生きる事が出来た。そんな珠をミゲルが嫌っていると想うかい?ミゲルに逢ったら珠が泣いて怒っていたと伝えようか?」。「いいえジュリアン様、珠は笑ってお見送りします。ミゲルには、元気に畠を耕していると伝えてください」。「まるがりいた」とは、幼き日に珠が母から受け継いだ真珠で、ミゲルがヨーロッパから無事に帰ってくるようにお守りとして渡した物だった。天正遣欧施設団4人の少年の中で、何故千々石ミゲルだけが棄教したのか?それは棄教し、殉教を避け、それ以上の殉教者が出ないようにするためだった。天主を裏切り、悪名に耐えた清左衛門ことミゲルこそ、多くの人の苦悩を一身に背負った真の意味のキリシタンだった。珠は夫の信心が見えなかった事を嘆くのだった(終)。

・・・キリスト教ではキリシタンの悲劇的話が美化されて語られるが、華々しい天正少年使節団の陰に、教科書には載っていない信仰に対する渇望や政治的陰謀があったように思える。日本人を奴隷として商業的に売買し、宣教師やキリシタンによる日本古来の神社や寺の破壊は事実であったし、布教というより侵略の意図が強かった。日本人は無宗教が大多数で、宗教を客観的に眺める事が多い…キリスト教やイスラム教は変だ、宗教がらみで戦争が起きて多数の戦死者が出る、殉教者が出る。大多数の日本人は、宗教など無い方が良いと思うだろう。争いが発生すると殉教が起き、争いが拡大すると大きな戦争になる。殉教には悪い面の方が大きいように思われる。アメリカで起こった9.11事件でも、殉教の精神が色濃く反映されている。殉教は宗教の狂信とまでは言えないが、それを完全にも否定出来ない。殉教の危険さと弊害は歴史的に理解出来る。かつて日本でも特攻隊で多くの若者が亡くなっていった。作家の遠藤周作には、棄教者の心理を描いた作品が多い。求められる宗教、信仰とは、これまでの間違った観念では生まれて来ないのかもしれない。


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